「祈りましょう。さぁ、祈りを。御霊に届くまで祈りましょう」
黒百合のシスターが、迷える子羊を優しく招く。
子羊達は何も知らない。世界の真理を。ステンドグラス越しの月の光の真実を。
哀れなものだ、とシスターは心の中でほくそ笑む。自分達の存在が如何に薄っぺらいものか、彼らはわかっていないのだ。…まぁ、分かるはずがないのだが。
「祈りなさい。さぁ、祈るのです。さもなくば、さらなる不幸が降りかかるやもしれません…。アナタ方に、神の御加護のあらんことを。ワタクシはそれを、一番に願っております…」
黒百合のシスターはそう告げる。神の手により迷いから抜け出した子羊を演じながら。
全部嘘です。絶望に誘う、いわば"呪文"。
…夜を一人で出歩くなんて、なんとも不用心ですねぇ。ほら、影が貴方の足を捕まえてしまったではありませんか。
おや、どうしたのです?そんなに震えて、顔色を悪くして…怯えているのですか?
あぁ…実に素晴らしい表情ですね。そうです、ワタクシが真に求めているのは、その表情、その仕草、その感情なのです。
戦慄なさい。恐怖なさい。絶望なさい。ワタクシのために。
アナタが教会で祈る対象が「救いの神」であると、なぜ信じることが出来るのです?
アナタは神の姿を視認したのですか?神の力をその目にしたことがあるのですか?当然、あるわけないですよね?
それなのに、ワタクシの言葉を鵜呑みにして、神を信ずるとは、なんて滑稽な話なのでしょう。
その神が、ワタクシのような「恐怖を貪る神」である可能性など、一切考えていないのでしょうね。
まぁ、当然と言えば当然ですね。
ペラペラな紙の世界に生きるアナタ方は、その脳みそも紙以上にペラペラなのですから。
「救いの神による旋律が、アナタを希望へ導かんことを。」
恐怖の神による戦慄が、アナタを絶望へ誘わんことを。
11/19/2024, 11:11:38 AM