行き止まり。
雪の壁が、完全に行く手を阻んでいた。
こんな細い道路では、車を転回させることもままならない。
かといって、バックで来た道を戻るのも、この夜の暗闇においては命取りだ。
山道の片側にはガードレールがあるが、その向こうは崖になっている。
仕方ない。朝まで待つことに決めた。
幸いガソリンは満タンで、暖房も効いている。
朝になれば、周りの状況も分かるし、慎重にバックすればここを抜けられるだろう。
スマホを出して電波を確認すると、微弱ながらアンテナは立っている。
JAFを呼ぶことも考えたが、場所を説明する自信がないし、この程度で大事にはしたくなかった。
一時間ほど過ぎた頃だろうか。
何気なくバックミラーを見ると、車の後ろに人が立っているのが見えた。
えっ、と思い振り返る。
…誰もいない。雪がしんしんと降り続けている。
嘘だろ、この辺ってそーゆーところ?
女の人のように、思えた。
白いワンピースの…この雪の中で?
こりゃあ、決死の覚悟でバックするしかないのか?
コンコン。
助手席側の窓を叩く音。
ビクッ!として見ると、女性がこちらを覗き込んでいる。
えぇ〜こんな、あからさまに?
幽霊って、もっと奥ゆかしく姿を見せるもんじゃないの?
しばらく見つめ合って、姿を消しそうにもないので、仕方なく窓を開ける。
「あの〜何か?」
「あ、すみません、こんな夜更けに」
「え、この辺に住まわれてる方ですか?」
「いえ、通りすがりの者です」
「通りすがりって…この雪の夜道を?その格好で?」
「まあ…そーゆーことなので」
どーゆーことなのか、よく分からないまま、彼女は車に乗り込んできた。
乗せるべきじゃない、という警告灯も点滅したが、話してみると、まるで脅威を感じない。
「どーしたんですか、こんな場所で」
こっちが聞きたいセリフだが、とりあえず素直に答える。
「いや、単純に迷子です。山を越えて知り合いの家に行くところだったんですが。…そちらは?」
「私は…見ての通り、通りすがりの浮遊霊です」
「大層なことを、サラリと言っちゃいましたね。…気絶してもいいですか?」
「いえいえ、凍死しちゃいますよ。私は幽霊歴も浅くて、呪い殺すとかも出来ませんから、安心してください」
「安心するのは無理ですが、危害を加えられないということは分かりました。それで、何があったんです?」
「つい先週のことですが、彼氏にこの山に連れてこられて、首を絞めて殺され、道路脇の崖から遺棄されました」
「…エグい話ですね。それは早く、呪い殺す技を身に付けた方がいい」
「いえ、そんなつもりはないんです。そもそも、幽霊にそんな力があるのかどうかも怪しくて。もうあとは、どうやってこの世を去るかってところですね」
「どうやって…もしかして、力になれます?」
「ああ、優しい人で良かった」
「いや…出来ることと出来ないことがありますが…」
「私の彼氏を見つけて、これを渡して欲しいんです」
渡されたのは、土に汚れたスマホ。
「彼が私をこの山に捨てた時、ポケットから落としたみたいで。ロックは私が外せますから、中身を見て、彼氏の情報を探ってください。彼と私が一緒に写った画像があるはずです」
言われるがままにスマホを操作する。
そして、彼女が男性と幸せそうに寄り添い合う画像を見つけた。
これは…心がエグられる。
「これを彼に返さないと、どうしても気掛かりで。こんな画像が残ってるから、もういらないのかもしれないけど、画像は削除できるし、スマホだけでも」
どこまでお人好しな女性なんだろう。
生前に出会いたかった。
「分かりました。必ず彼に渡します。そしたらあなたは、この雪山から旅立てるんですね」
「たぶん…何しろ幽霊歴が浅いので…」
そんなキャリアが関係あるのかどうかは分からないが、とにかく彼女の願いを叶えて、成仏させてあげたかった。
朝、車の中で目を覚ます。
隣には誰もいない。
だが、シートの上には、土に汚れたスマホ。
夢ではなかったようだ。
車をスタートさせ、何とか山を迂回して、目的地の知り合いの家に向かう。
途中、コンビニに寄って、匿名で警察に通報した。
本当のことは言えないから、山道を走っていて雪に埋もれた死体らしきものを見た、気のせいかもしれないが確認して欲しい、くらいの内容にしておいた。
自分にだって正確な場所は分からない。
でも、どこかに眠っている彼女を見つけ出してあげて欲しい。
私は、自分に課せられた使命を果たすから。
「雪に囲まれて身動き取れなかったって?」
「そうなんだよ。雪山を舐めてたわ」
「惜しかったな。昨夜の合コン、最高だったぞ」
「そっか。参加できなくて悪かったな。…ところで、渡したいもんがあるんだけど」
これで、彼との付き合いも終わりだな。
悪い奴だとは思わなかったんだけどな。
この後、一発ぐらい殴っておこう。
ついでに、自首も勧めておこう。
あとは、彼次第だ。
帰り道、昨夜立ち往生した辺りに立ち寄って、ガードレールの下に花束を手向けた。
警察は捜索してくれたのだろうか。辺りに人けはない。
何の根拠もなく、雪解けとともに発見される彼女の姿が脳裏に浮かんだ。
「私に出来るのはここまでかな。それじゃ、帰りますね、バイバイ。ご冥福をお祈りします」
遠く、崖下の雪景色の中に、白いワンピースを見たように思ったのは…気のせいだったのだろうか。
2/1/2025, 3:15:20 PM