手を繋いで、二つの影が夕暮れの道を歩いていく。
「もう少し遊びたかったな」
「明日になればもっとたくさん遊ぼうよ」
「うん!早く明日にならないかなぁ」
今日の終わりを惜しみ、明日への期待に胸を膨らませている。囁く声はとても楽しげで、足取りはとても軽やかだ。
二人以外に誰かの気配は感じられない。周囲の異様な静寂に、けれども二人は少しも気にかける様子はなかった。
「晩ご飯は何にしようか。ハンバーグ?それともカレーライス?」
二人だけの世界が当たり前だと言わんばかりに、指折り好きなメニューを上げていく。二人で同じように首を傾げて悩み、しばらくして顔を見合わせ笑う。
「「とろとろ卵のオムライス!」」
声を合わせ、はしゃぐ。飛び跳ねて喜び、どちらからともなく駆け出した。
世界に取り残されて、二人ぼっち。けれど完成された二人だけの世界に、どちらも幸せそうに表情を輝かせていた。
「――それでね。夕暮れになると、その坂で手を繋いだ二人の影が見えることがあるんだって。でもって、その影を見てしまったら、その世界に取り込まれてしまうんだって!」
きゃあ、と上がるいくつもの悲鳴に、微睡みかけていた意識が浮上する。
先程から一ページも進んでいない本を閉じ、ちらりと賑やかなクラスメイトたちを一瞥する。夏はまだ当分先だというのに、怪談話に興じる彼女たちは怖がりながらもとても楽しげだ。
「取り込まれた人はね、二度と戻ってこられなくなっちゃうの。それで行方不明になった人は、しばらくすると存在がなかったことになるんだって。クラスで誰も使っていない席があったら、その取り込まれて戻れなくなった子の席かもしれないよ」
どこかで聞いたことのある締めくくりに、ならば何故話が広まっているのかと心の中だけで突っ込みを入れる。誰一人戻らないのならその二人ぼっちの世界が外に広まるのは不自然であるし、存在がなくなった誰かがいたなど矛盾していることに誰一人気づかない。
創作話などそんなものか。そう納得して、もう一度彼女たちに視線を向けた。
楽しげに談笑するクラスメイトたちから少し離れて、手を繋いだ二つの影が彼女たちを見つめている。クラスの誰も、その影に気づく様子はない。
怖い話をすると寄ってくる。昔聞いた話を思い出しながら、視線を逸らして机に伏せる。
周囲の賑やかさから逃げるように、眉を寄せて目を閉じた。
楽しげに笑う声がした。
振り返れば、両親に囲まれ無邪気に駆け回っている弟たちの姿。穏やかに微笑む両親に、これは夢だと理解する。
両親が離婚し、弟たちと離れ離れになってしまったのは、もう随分と前のことだった。
母に引き取られた弟たちに何度も手紙を出したが、一度も返事が返ってくることはなかった。それが悲しくて、いつの間にか出せなくなってしまった手紙が今も机の中に溜まっている。
夢の中の幸せだった頃の弟たちを見つめながら、二人の今を思う。
元気にしているだろうか。新しく友達はできたのか。
他者を拒み、二人きりの世界にこもりがちな弟だ。新しい環境に馴染めているのかが心配で堪らなかった。
「お姉ちゃん!」
こちらに気づいた弟たちが、大きく手を振り駆け寄ってくる。
その姿に懐かしさを感じて切なさが込み上げた。もう一度会えたとして、こうして昔のように懐いてくれるだろうか。
そんなことを思いながら、腕を広げる。飛び込んでくる二人分の衝撃を受け止め、弟たちのように笑みを浮かべて小さな体を抱き締めた。
「お姉ちゃん」
揺さぶられて、目が覚めた。
体を起こそうとして、けれど聞こえた声に硬直する。ここにいるはずのない、懐かしい二人分の声が揺さぶる手と共に響く。
「お姉ちゃん、起きて」
「帰ろうよ、お姉ちゃん」
記憶のままの声。小さな手。離れてからもう何年も経つのに、変わらないのはありえない。
今、自分を起こそうとしているのは誰なのだろうか。脳裏に、クラスメイトたちを見ていた影を思い出す。
あれは違う。感覚的に違うのだと分かる。だが、そうだとしたらここにいるのは誰なのか、見当もつかない。
「起きないね」
「今回も、お姉ちゃんじゃないのかな」
「今回こそは、本当のお姉ちゃんだよ。起きないけど、壊れてないもん」
「そうだよね。二人ぼっちの世界に入れるのは、お姉ちゃんだけだもんね」
どこか不穏な会話に、背筋が薄ら寒くなる。震えそうになる体に必死で力を入れ、耳を澄ませながら寝たふりを続けた。
起きていることを気づかれたのなら、きっともう戻れない。そんな不安が、正体を確かめようとする行為を留めていた。
「疲れてるのかな。お勉強も、お家のことも、全部頑張っているんだもんね」
「そっか。じゃあ、もう少し寝かせておこうか」
「そうしようか……でも早く起きてほしいな。ずっと会いたかったから」
沈んだ声に、思わず肩が震えてしまった。
これ以上誤魔化すことはできない。突き刺さる二つの視線を感じながら、ゆっくりと体を起こした。
「やっと起きてくれた!おはよう、お姉ちゃん」
「お姉ちゃん、お寝坊さんだよ」
きゃあ、と声を上げて抱き着かれる。嬉しそうに笑うその姿は、確かに弟たちのものだった。
「早く帰ろう?帰りながら、いっぱいお話しようね」
「ずっとね、お姉ちゃんを探してたんだよ。二人ぼっちの世界でもよかったけど、お姉ちゃんも一緒の方がもっと幸せだもん」
「お姉ちゃんは特別だからね!二人ぼっちの中に入れてあげる」
「そう!特別だよ」
それぞれに手を繋がれ、立ち上がる。
何か言わなければいけないと思っているのに、何も言葉がでてこない。体は弟たちに従って、ゆっくりと教室を出て歩いていく。
どこにいくのだろう。どこに帰るというのか。
いくつもの疑問を浮かべながら、誰もいない夕暮れの道を歩いていく。
とても静かだった。弟たちの話にただ頷きながら、自分たち以外の存在を感じない周囲に視線を巡らす。時折道の端に見かける、まるで倒れ伏しているような黒く揺らぐ影に、頭の中で警鐘が響く。
「お姉ちゃん。ずっとお手紙くれてたのに、お返事できなくてごめんね」
「お手紙、捨てられちゃってたんだ。でも二人ぼっちになってからは、お手紙全部読んだからね。お姉ちゃんの机の中に入ってたのも全部!」
繋ぐ手の感覚は、確かに弟たちだと伝えている。けれど以前は感じていた温もりも、愛おしさも分からない。
自分が知る弟たちではないのだろう。そう理解した所で、どうすることもできないけれど。
「今日はごちそうにしようね。お姉ちゃんは何食べたい?」
「何でも好きなもの言ってね」
「――二人の好きなものでいいよ」
自分の意思では動かせない口が、優しく弟たちに答える。
目を伏せた。もうそれしか自由にできることはなかった。
きゃあ、と歓声を上げる二人に手を引かれ、夕暮れに伸びた影がひとつに溶けていく。
ここがどこなのか分からない。二人に何があったのか、何一つ察することができない。
ただ唯一理解できる。
きっともう、この二人ぼっちの世界からは戻れない。
20260321 『二人ぼっち』
3/22/2026, 6:33:16 PM