考える葦になりたい鳥

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どうして?

どうして?わたしはここにいるの?
どうして?あなたはここにいるの?

「どうして」という言葉を見たとき、まず浮かんだのは自分への叱責だった。
どうして?あの時辛抱できなかったのか?
どうして?あの時泣くことしかできなかったのだろう?
どうして?あの時贖うことを怠ったのか?
どうして?なんで?その理由は?

理由を求めることを咎められたときがあった。「なぜ理由を求めるのか?求め過ぎではないのか?」
「現象には必ず理由がある」どこかで聴いたうろ覚えのドラマの台詞が、自分は好きだった。何にでも理由が、「答え」あると信じていた。

「答え」を知りたくて、「どうして?」を繰り返していた。「答え」など、誰かが作り上げたニセモノの「なにか」かもしれないのに。

その人は言った。
「君は答えを用意された人生を歩んできた。だから自分で答えを見つけられない。」
自分にはこう聴こえた。
「守られて生きてきた人間に、答えなど見つけられないだろう?」



「ねぇ、どうして?」


































「答え」は、自分で見つけるんだ。



1/14/2023, 3:22:20 PM