フィロ

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「ちり〜ん、ちり〜ん」

海からの風を受けて、店先に吊るされた風鈴が涼しげな音色を響かせる

凪沙は夏の間だけ海を臨むこの場所の観光客相手の土産物屋の一角に、小さな店を出している

普段はイラストレーターとしての仕事で細々と生計を立てているが、夏のこの時期の期間限定ショップとして自分の作品を置かせてもらっている


そもそもは、ここに勤めている友人が夏らしい物を店先に飾りたいと相談してきたので、たまたま凪沙の家にあった何の飾りもないガラスの風鈴に、ちょこちょこっと絵を描いて渡した

それから間もなくして、その店先に゙飾られた風鈴を見た買い物客から
「同じ物を欲しい」「譲ってくれないか」と聞かれることが多くなったらしく、
その友人が
「いっそのこと、これ商売にしてみたら?」
と誘ってくれたのが始まりだった

そのガラスの風鈴は、美大時代の友人の作品で、彼女にとっても良い話なので「夏の間だけ」という約束でやってみることにした


凪沙は生まれも育ちもこの海の街だったが、何の運命のいたずらか、美大時代に「紫外線に当たると免疫機能が破壊される」という難病を発症した
それ以来日光を避ける生活を与儀なくされ、通勤も不可能となり、内定していたデザイン事務所も辞退せざるを得なかった

せっかく掴めそうだったデザイナーとしての仕事を泣く泣く諦め、何とか在宅で出来るイラストの仕事を仕方なく始めたのだった


夏生まれの海育ち
毎年夏が来るのが待ち切れなかった

それが、病気の発症で人生が一変した
明るくて太陽のようだ、と言われていた性格も笑い方さえ忘れてしまったような暗く沈んだものに変わっていった


パソコンに向かいながら、依頼されたイラストをただひたすらと描き続ける日々
持てる才能を発揮し切れないことへの焦りや不満
外との繋がりも画面を通してしか無くなる不安
そんなマイナスしか生み出さない毎日に凪沙の心はガラスの様に砕ける寸前だった

そんな時に舞い込んだ新しい挑戦への誘いだった


たまたまその凪沙がイラストを施した風鈴を買って帰った客のひとりが、インスタグラムに投稿したことがきっかけになり、『凪沙の風鈴』はアッと言う間に評判に゙なった
「インスタでみたあの素敵な風鈴が欲しい」
とわざわざそれ目当てに来る客も国の内外問わず訪れるようになった

こんなことになるとはもちろん凪沙自身想像もしていなかったが、自分の絵を施した作品が自分知らないあちこちの場所で飾られていると思うと幸せな気持ちが込み上げた

けれど
「わざわざ買いに来てもらうもの大変だから、インターネットでの販売も受けたら?」
という友人のアドバイスは頑なに断り続けた


凪沙は作品をあくまで対面で描いて譲りたかったのだ

客の希望を聞き、その人のイメージを膨らませながらその凪沙が感じた感覚を絵としてその風鈴に載せた

「この夏の素敵な思いでの欠片としてあなたのお部屋の片隅に飾っていただけますように…」

そんな祈りを込めながらひとつひとつ大切に描くからこそ、人々の心を掴む作品になっているのだろう


凪沙自身はもう当たり前に外を歩き回ることは出来ない
ましてや夏の日差しを浴びる日は二度と訪れないだろう

あれほどまでに恋い焦がれた『夏』への思いや、自分にはもう経験出来ないであろう楽しい時間を、目の前にワクワクしながら風鈴が出来上るのを待っている客のはじける笑顔から感じさせてもらえる幸せへの感謝をひとつひとつの風鈴に込める


「今までの辛い日々はこの為にあったのかも知れない」
とさえ、今は思えているのだ


今やすっかり売れっ子風鈴作家となった凪沙

また今年も凪沙の「幸せを生み出す」夏が始まろうとしている





『夏』

6/29/2024, 6:10:35 AM