わたしは、第一印象でその人の全てを判断してしまいがちだ。
しかし、実は、第一印象はその人の素顔とは全く違う”想像上の人”を、”わたし”が頭の中で勝手に創り出しているだけなのかもしれないと、最近気がついた。
第一印象が怖いと思った人でも、話してみると分かりにくい優しさが滲み出ていることに気がつくときがある。
優しいことに気がついた後、少し時間を空けてまた話したときに再び、怖いと思う瞬間もあるのだが。
また、人はそのとき置かれた環境によって変化することもある。
ここでいう環境の大部分を占めるのは、”人”だ。正確には、”複数の人が属しているコミュニティ”の中で相互作用が起き続けている。
このコミュニティによって、木でいう葉の部分のように小さな習慣の変化が起きることもあれば、木でいう根っこの部分のように、その人もつ信念が180度大きく変わることもある。
人は、死んだときに「〇〇な人だった」と言われる。
若いときはこうだったけど、最期はああだったねと。
死んだときに初めて、”その人”は”どういう人”であるのか、一言で言い表される。
つまり、死ぬまで”その人”は”どういう人”であるのか、一言では言い表せないのではないかと思う。
だからといって、自分が死んだとき、人にどう言い表されるかを意識しながら生きていくことはナンセンスだ。
誰か一人の、”ほんの小さな生きる希望”になれたら、”その人”は”誰かの小さなヒーロー”だと思う。
どんなに小さなことで、誰にも評価されなくても、これが生まれた意味とははっきり言えなくても、いつか最期を迎えたときに、きっと、生まれてきてよかったと思えるから。
わたしは、はじめましてと言葉を交わしたときの第一印象でその人のことをわかった気になるのではなくて、その人の命の灯火が消える最期まで見続けていたい。
どんな人でも、”はじめまして”では気がつかない隠れた優しさもあれば、生涯をかけて少しずつ変わっていくところもあると思うから。
だからこそ、”人生”は面白い。
________はじめまして___________________________。
4/1/2025, 1:53:43 PM