G14

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 タンスの角に足の小指をぶつけた。
 体を貫かれるような痛みが走り、声を出しそうになるが、すんでのところで堪える。
 普通の人間ならば耐えられないだろうが、俺はなら耐えられる。
 なぜなら、俺はハードボイルドだから。

 そう!俺は日本を代表するハードボイルド探偵!
 ハードボイルドとは、何があっても動じないこと。
 タンスの角に小指をぶつけても、動じてはいけない。
 なぜなら『何気ないふり』を極めなければ、ハードボイルドは務まらないのだ。

 とはいえ、俺に痛みを与えたタンスを許すかどうかは別問題である。
 俺は痛みの原因であるタンスを睨みつける。
 このタンスは、我が探偵事務所にもともとあったものではない。
 先月知り合いが捨てるところを、もったいないからと貰ったのだ。
 つまり捨てられそうになっていたコイツを救ったのは俺であり、間違いなく俺は恩人のはずである。
 にもかかわらず、このタンスは俺に何度も痛みを与えてくる。
 もうすでに5回はぶつけている。
 なんて恩知らずな奴なのだろうか?
 いっそ捨ててやろうか?

「どうかしましたか?」
 机で事務処理をしている助手が、帳簿から顔を上げてこちらを見ていた。
 急に立ち止まったので、不審に思ったのだろう。
 しかし、タンスに小指をぶつけたなんて知られるわけにはいかない。
 なぜならハードボイルドの俺がタンスに小指をぶつけたと知れば、彼女のハードボイルドに対するイメージを壊してしまう。
 だが、ぶつけてしまったものは仕方がないので、ここはハードボイルドらしく誤魔化すことにしよう。

「武者震いさ」
 決まった。
 そう思って助手の方を見るが、彼女はもすごい嫌そうな顔をしていた。
「はあ、事務所の外でそういうのやめてくださいね。仕事が減りますから」
 そう言いながら、助手は再び帳簿に目線を落とす。
 さすがに失礼じゃない?
 だが、タンスに小指をぶつけたことはバレなかったので、良しとすることにしよう。

 俺が安堵しているのも束の間、いきなり助手が立ち上がった。
「ど、どうした?」
 突然の事に驚いて少しかんでしまう。
 もしかして気づかれたか?
 助手は妙なところで察しがいいからな……

「集中切れてしまったので、コーヒーを飲もうかと」
「ああ、そう」
 助手はこちらを一顧だにすることなく、俺の横を通り抜けてキッチンの方へ入っていった。
 なんか怒らせたか?
 少し考えるも思い当たる節は無い。
 昨日、彼女のプリンを食べたことはすでに謝っているので、それではないはず。

 だが、『もしかしたら』と思うことはある。
 俺はハードボイルドだ。
 何事にも動じず、彼女の一挙手一投足にも、発言にも動じることは無い……
 もしかしたら、それが助手とって冷たく感じられて――

「冷たっ」
 首筋に冷たいものを感じ、思わず声を上げる。
 振り向くとそこには助手が立っていた。
 助手はコーヒーを淹れていたはずでは?

「コーヒーはどうした?」
「先生がボケっと突っ立っている間に入れ終わりましたよ」
 いつもに増して言い方がキツイ助手。
「ああ、そうだ。俺の分は?」
「は?あるわけないでしょう」
 とんでもなく冷たい目で言い放つ。
 え?マジで何に怒ってるの?

「はい、コレ」
 そう言って助手は俺によく冷えた保冷剤を渡してくる。
 さっきの冷たいのはコレか!
「それで冷やしてください」
 何を言われたのかわからず、聞き返そうとする。
 だが助手は言うべきことは言ったとばかりに、そのまま離れていった。

 と不意につま先から痛みの信号が送られてくる。
 そこで俺は、合点がいった
 ブツケた小指をコレで冷やせ、ということだろう。
 助手の優しさに感激して泣きそうになる。
 だが俺は泣かない。
 なぜなら、俺はハードボイルドだから。

 それにしても、まさか探偵の俺を出し抜くとはな……
 助手の『何気ないふり』がうまいことよ……
 何気なさ過ぎて、反応に遅れてしまった。
 それにしても、彼女はようやくハードボイル探偵の助手に相応しくなってきたようだ
 ハードボイルドを全く理解していないときのことを思えば、感慨深いものである
 この調子で行けば、日本一のハードボイルド探偵事務所として、日本中に名を知られることだろう。

 俺は輝かしい未来に思いをはせつつ、足の小指を冷やすのであった。

 

3/31/2024, 10:30:27 AM