『秘密の標本』
リビングのローテーブルの上に、彼女はひとつひとつ、静かに押収品を並べた。
装飾品が壊れないように最新の注意を払ってファイリングしたヘアピンとヘアゴム。
ファスナーつきの保存袋に入れた歯ブラシ。
髪の毛は1日1本と決めて、毎日厳選して小さな瓶に入れて保管していた。
それらには全て、日付がラベリングされている。
もちろん、俺が書いて保存したものだ。
比較的小さなローテーブルのスペースが半分ほどそれらで埋まったあと、彼女は俺を睨みつける。
「あとこれぇっ!」
治安の悪い口調とは裏腹に、丁寧に俺の目の前に差し出されたノート。
男が所有するにはいささか派手な紫色のレザー表紙は、バラの花がプレスされていた。
ダイヤル式の鍵がついているのだが、当たり前のようにロックが解除されている。
「よく解除できましたね?」
「ただの私の誕生日じゃん。なんの捻りもないし、鍵の意味なくない?」
「別に、見られて困るものでもないですし」
「え、これが……?」
中身は推しである彼女の日常生活を認めた、俺の日記帳となっていた。
日付、天気、起床時間、朝食メニュー、買い物履歴、トイレの回数、就寝時間などなど。
俺独自のフォーマットに沿って、丹精込めて書き綴っていたのだ。
「ただの日記帳じゃないですか」
「人の生活記録を『日記』とのたまってんじゃねえよっ!?」
「その日に起きたことを俺が書いてるんですから、コレは間違いなく『日記』でしょう」
「……ウソでしょ!?」
目を白黒させてフラフラしていてもビジュが崩れないのは、さすが天使である。
悩ましくしてる姿もかわいい。
現世で彼女という存在と巡り会えたことが奇跡的なのだ。
本当に、生まれてきてくれてありがとう。
「だってこうして日記をつけると、夢のような奇跡が現実であることを実感できるじゃないですか」
「はあ!?」
存在だけでもかわいくてたまらないのに、俺というちっぽけな人間を認知してくれて、さらには交際を始め、あまつさえ生活をともにするまでにいたったのだ。
俺にとって都合のいい現実を夢と見間違えないために、同棲を始めた日からこの日記をつけ始めたのである。
「それに、あなた。生活を見守られることに対して、全然抵抗感持ってじゃないですか」
玄関、リビング、ベランダと見守りカメラを3台も設置しているのに、素っ裸で部屋中を闊歩している。
挙げ句の果てにはしどけない姿のまま、来訪者を出迎えようとする始末だ。
そっちのほうがよっぽど事件になりかねない。
「抵抗がないだけで本意ではねえよ!」
「えっ!? イヤなんですか!?」
「当たり前だろ!!」
「そうですか。わかりました……」
推し本人のストレスになってしまうくらいなら、この生活は手放すべきである。
しかし、それならば彼女には直してほしい習慣があった。
「では、夏場でもきちんと服を着てくれるようになったら、俺もやめてあげます♡」
「なんでそっちが遥か高みから譲歩しに来やがってるんだよ!? ちょっとは悪びれろ、クソったれ!」
俺の目をちょろまかそうと俺の前ではしっかりと服を着る、小賢しくなった彼女には言われたくない。
まだまだ緩いし雑だし心臓に悪いのだが、俺の前でだけ、確実にガードが固くなってきていた。
そんな状況、納得ができるわけがない。
互いに硬直状態が続いていたが、彼女は根負けしたかのようにため息をついた。
「……わかった……。ヘアピンと日記帳とやらはそれで見逃してあげる」
「えっ!?」
俺の目の届かないところでも服を着ると!?
できるのかっ!?
あの彼女がっ!?
彼女に対していくばくか失礼なことを思いながら見つめた。
俺の言い分を理解したのか。
彼女はイラァっとしたオーラを隠さないまま、ローテーブルに指を差した。
「その代わり、髪の毛と歯ブラシ収集はやめてもらうから」
「なんでですかっ!?」
「気持ちが悪いからに決まってるだろ!」
髪の毛の入った瓶と中身を分別して、容赦なくゴミ袋に入れた。
さすがに髪の毛をない混ぜにされると、いつ収集したものか区別ができなくなる。
「キャアアァァッ! なんてことするんですかっ!?」
「うるっさい!」
袋から歯ブラシを全て取り出した彼女は、それらを鷲掴みして勢いよく立ち上がる。
「ちょっと!? どこ行くんですか!?」
「あん? あとでこっそり回収されないように、今からコイツらと排水溝の大掃除する」
「イヤアアァァッ!?」
俺の断末魔は無慈悲にもイヤホンで塞がれてしまった。
乾燥が気になる季節だというのに、水仕事をしないでほしい。
ぺしょぺしょと泣き縋る俺をよそに、彼女は下手くそな鼻歌を刻んでいった。
11/3/2025, 3:35:26 AM