夢が醒める前に
夢の中で、これが夢であると気づくことってあまりない気がする。夢が醒める前に、に続く言葉はおおかた願望だろうと思うけど、これを言っている時にはとっくに夢から醒めているであろうのは寂しい。
醒める、覚める、冷める、今回のは醒めるだから、単に寝ている時にみる現象としての夢ではなく、ふわふわしたはかないものを指すのだろうか
そういう意味での夢が醒めるという言葉は意地悪だなと思う。なにも醒めるとか醒めないとか、それが一時の幻覚に過ぎないと断言しなくてもいいのに。
これまで、人や私がやりたいことなりたいものへ無理だと言った人たちへ未だ複雑な気持ちがある。いつか直面する壁について、人生の先達として教えるのも優しさだと受け入れられるようにはなってきたけど、無理でもそれに向かった先で得られるものは何にもかえられないのに。自分で得た諦めと醒めた夢とは全く違う手触りがすると思う。
諦めた人は対外的な事実として諦めたとしても大体はそれに執着していて、それは醒めた夢だと自分の中で処理するよりも魅力的に感じる。執着がその人の選択肢を狭めているならもったいないとは思うけど、執着が原動力になってつながった言葉があるなら聞きたい。
生活するにはお金がいって、労働が家事がいってあらゆるタスクがあるからともすれば考えることなんて二の次になってしまって、これが現実を生きるということなんだろうけど、これを越えて言葉にしたいことに内包されるふつふつとしたエネルギーはその人が本当の意味で生きてる生々しさがあると思う
だからこんな小さなプラットフォームで文書いて、読んでるわけで、でも怖いから匿名の小さなプラットフォームでしかないんだけど
友達にこういう話をすると、相手も自分の考えを返してくれることがあり、すごく嬉しい。今年こそは、絵も文章も音楽も、もう少し身内以外の多くが見る場所に投稿してみたい。
これだけ自分の思想を書きながら、最近自分の姿勢とか考え方を省みることがおおい。他人に見放されたら嫌だなという気持ちで自分の言動を変えるのはどうなのと思いつつ、私が変わることのできる瞬間は他者と相対化されたときだけとも思うので、いいのか。
授業や課題、研究をやるのと、本を読んだり考えて文章や絵に起こすのを両立することが当面の目標になりそう。誰かに夢とか言わせないためにも
3/20/2026, 2:41:36 PM