『過去』、『今』、『未来』について、わたしはときどき考える。
『今』という延長線上に『未来』がある。
『未来』が訪れると、あっという間に『今』は『過去』になる。
わたしは、『過去』で心に傷を抱えた。
心の傷は年月が経つにつれて塞がるが、傷の中には塞がらないものや、一度塞がってもまた開くものもある。
傷が塞がらないということは、自分の潜在意識に常に存在すると言うことである。
潜在意識に存在する傷は、普段は静かに眠っているが、ある出来事をきっかけに、顕在意識にまで響くような警鐘を鳴らす。それは顕在意識に大きな影響をもたらす。
『過去』は変えられないから、考えても無駄だときいたことがある。
私はこの言葉を信じて、『過去』の傷口をみつけても、それを見てみぬふりをした。そうやって今まで自分をごまかして生きてきた。
しかし、大きな環境の変化に順応できず、過去に抱えた心の傷が原因のストレスを抱えたままひたすらがんばろうとした結果、顕在意識に警鐘が鳴った。わたしはこれまでの生活を送ることができなくなった。
それから、わたしはこれまでの心の傷への向き合い方は間違っていたのではないかと考えた。
『過去』に向き合い、『未来』に希望をもって『今』を生きるために『過去』、『今』、『未来』を現実世界に置き換えて考えた。
わたしは『過去』は、『今』を積み重ねてきた足跡であると考える。
『過去』に、なんであのときこうしたんだろうと後悔するときもある。
しかし、『過去』は、どんな状況の中であっても、自分が確かに生きてきた、確かな足跡だと思う。
降り積もった雪の上を歩いたときに、確かにそこには自分の足跡がある。
わたしは日々のほとんどを、コンクリートの道を歩いているため、自分の足跡を確認することはできない。しかし、雪の上を歩いたときにできる足跡を想像することはできる。
この足跡はうっかり糞を踏んだときにできたものもあれば、コンクリートに咲く花を避けるようにしてできたものもあるように、足跡には、自分にとっていいこととわるいことがある。
足跡ができたときに抱いた想いが大きいものの中に、潜在意識で傷となるものがある。
潜在意識の一部となった強い傷は、決して完治することはできないため、癒すことを意識する必要がある。
わたしは、傷を癒すためには、『過去』を振り返り、向き合うことが必要と考えた。
『今』を生きることが大切だとよくきく。
わたしは『過去』を後悔せず、『未来』に希望をもって、『今』を生きようと意識している。
しかし、意識していても、ときどき『過去』への後悔や『未来』への不安が、わたしをがんじがらめにしているように感じる。
がんじがらめになったら、『今』から『未来』へ急に時間が進んで『今』を生きている実感がないときがある。
このようなときは、降り積もった雪の道を歩く自分の様子を思い浮かべて、目にはみえないけれど、そこには確かに『足跡(過去)』があったこと、また、これから歩く道にも『足跡(過去)』ができることを想像したい。
そして、目の前には霧がかかっていて先がみえないが『道(未来)』が確かにある。先がわからないことに不安はあるが、不安に勝る希望を持って歩みを進めたら、いつの間にか霧から抜けて、地平線まで見渡せる場所に必ず辿り着くことができることを想像したい。
そして『今』を足の底で踏み締めている感覚や、風が頬を撫でるように通り過ぎていく感覚、雨がもたらしてくれた七色に輝く虹、頭上を猛スピードで旋回している燕の羽の音を想像して、『今』確かにわたしは生きているという感覚を持ち続けていきたい。
『過去』と向き合い、『今』この瞬間を生きて、輝く『未来』を想像すること。
それが、わたしの未来への鍵である。
____未来への鍵_________________。
1/10/2025, 4:46:54 PM