「夢を見てたい」
夢とは何なのか。
それについては、現代では「睡眠中に脳が記憶の整理している最中に再生されているものだ」という神経生理学的な理解が一般的になっています。
しかし、古くは現世ではない異世界と繋がるものであったり、神仏から賜るものであったり、己の内面を映すものとして捉える見方もありました。
どれもその時代、その分野においては間違いなく真実だったのでしょう。
知らせや御告げを受けて行動を変えたり、宗教的な儀式を行う例は沢山あります。
そんな中でも少し面白いのが、望月の歌で有名な藤原道長の「御堂関白記」です。
道長は夢想を根拠に外出を控えることが少なくありませんでした。
これは道長に限った話ではなく、当時の平安貴族達の中ではごく普通の習慣だったようです。
道長も例に漏れず、信心深く夢想告に忠実であろうとした…かのように見えるのですが、これがどうにも怪しい。
「御堂関白記」においても道長は度々夢に触れるのですが、その肝心の中身について詳細を記していることは少ないのです。
また夢のせいでやむを得ず行けなかった外出先は、元々道長が気乗りしない外出先であったと思われるケースが多く、信心深いどころか夢をズル休みの根拠に使っていたような節があるのです。
夢は神秘の塊でありながら、実利的に使える便利なツールでもあったわけです。
「夢で良くないと出たから」という理由で取れる夢想休暇。
いいですねぇ。そんな夢ならぜひ見たい。
1/13/2023, 1:31:27 PM