sairo

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誰かが泣いている。
声を押し殺して泣く声に、燈里《あかり》はゆっくりと目を開けた。

「誰かいるの?」

広がる暗闇の奥へ問いかけるが答えはない。辺りを見回すが、見えるものは何もなかった。
きゅっと手を握り締める。震える体に力を入れ、声の聞こえる方へと足を進める。
このまま立ち竦んでいても何も変わらないのだろう。動かなければ、手遅れになってしまう。
込み上げる衝動的な思いに突き動かされているかのように、燈里の足取りに迷いはない。奥を見据える目に怯えもなく、強い意志を湛え声のする方へと歩いていく。

ふと、泣き声に紛れるように声が聞こえた。
話声だろうか。声は聞こえるものの言葉として認識できないそれに、燈里は足を止め眉を寄せる。
目を凝らし辺りを見るが、暗闇に閉ざされやはり何も見えない。

「そこにいるの?」

泣き声が止んだ。
雑音としてしか聞こえない声が、波のようにうねる。

――どちら……ても……約束……

時折明瞭になる声は、何かを伝えている気がした。耳を澄ませば声がうねりを増す。
耳元を過ぎる声の中で、燈里は幾度となく繰り返される言葉に気づいた。

「約束?」

言葉にした瞬間、うねり広がる声が光となった。一瞬で暗闇を染め上げる白い閃光に、燈里は咄嗟に目を閉じる。
瞼の向こう側では、光が飽和してすべてを飲み込んでしまいそうだ。目を閉じて尚感じる強すぎる光に顔を顰めながらも、燈里は取り乱すことなく声を上げる。

「約束とは何?そこにいるなら、伝えてほしい」

その言葉に光が一瞬途切れた。再び差し込む光は、どこか柔らかく穏やかだ。
ゆっくりと目を開ける。白の世界の中心に一人の少女の姿が見えた。
腕に花束を抱き、燈里を見つめている。その眼差しは強く、一瞬前の光を思い起こさせた。

「約束。守らないと」
「その約束とは何ですか?」

少女と対峙し、燈里は問いかけた。それに少女は何も答えずただ燈里を見つめ続け、ややあって背後を見せるかのように数歩脇へと移動する。

「――っ」

景色が変わる。
白一色の世界は薄暗いどこかの室内に変化し、目の前に二人の少女の姿を浮かばせる。
まだあどけなさを色濃く残す少女たちは姉妹だろうか。同じ巫女装束はどちらも煤け、所々が破れてしまっている。よく似た二人の顔も、破れた装束から覗く肌にも無数の傷が刻まれている。

「約束」

片方が手を差し出す。震える手を、もう片方が傷だらけの手で包み込んだ。

「約束する。どちらが戻れても、戻れなくても、皆のことは絶対に守り通す」
「約束する。生きられても、死んだとしても、巫女としての在り方は歪まない」

痛みに顔を歪ませながら、けれどどちらも強い目をしている。視線を合わせ頷いて、同時に手を離した。
その途端に二人の姿が消える。辺りは再び白だけの空間が広がり、燈里は詰めていた息を吐きながら花束を抱いた少女に向き直った。

「約束を守りたいの?」

燈里の問いかけに少女は頷く。その顔は、先程手を差し出した少女のものだ。

「私は、守りたい」

燈里の目を見ながら少女は告げる。

「姉様との約束を守りたい。皆を守りたい……だから力を貸してほしい」
「どうすればいいの?」

燈里はさらに問いかける。少女は口を開きかけ、腕に抱いた花束に視線を落とし逡巡する。
ほんの一瞬、その目が泣くように揺らいだ。だが目を閉じ、次に開いた時には、その揺らぎはどこにも見えなかった。

「私たちを終わらせて」

迷いなく少女は告げる。
燈里は何も答えなかった。ただ花束を抱きしめる腕の震えや真っすぐな少女の眼差しの奥に沈む痛みを見つめていた。
言葉の真意を見定めるような静けさに、少女はきゅっと唇を噛んだ。無意識にだろう、一歩前に足を踏み出し、声を上げる。

「私は父様が守ろうとしていた皆を同じように守りたい。母様が愛したこの地を穢したくはない。私は、私は……!」

ぱさりと花束が揺れ、花びらが地に落ちた。少女は気づかず、叫ぶように願いを口にする。

「私は、私のせいで堕ちたアキシロ様を、鬼のままにしたくない!姉様たちを方相氏のお役目から解いて、名前を返したいっ!だから、だからっ……終わらせるしか……」

真っすぐだった少女の目が揺らぐ。水面のように煌めいて、決壊した滴が頬を伝い流れ落ちていく。
手を伸ばし、燈里はそっとその滴を拭った。そのまま頭を抱き寄せ、静かに髪を撫でる。

「ごめんね。それはできないよ」
「――っ!」
「終わらせることを誰も望んでいないから」

顔を上げた少女に微笑み、燈里は後ろを指さした。

「あ……」

振り返る少女の視界を、風に舞う色とりどりの花びらが覆う。
無邪気に笑う声がする。花びらが高く舞い上がり、開けた視界には一面の花畑が広がっていた。
遠く、花畑に埋もれるように小さな影が二つ見えた。座る影が手にした花冠を、その隣で様子を伺う影の頭に乗せる。

「可愛い!ありがとう、姉様」
「どういたしまして。ずっと一緒にいられるように願いを込めて編んだから、大切にしてね」
「ずっと一緒?」
「そう、ずっと一緒。私たちも神様たちも、皆ずっと一緒」

楽しげな笑い声が響く。互いに手を繋ぎ立ち上がって、花畑の向こう側へと駆けていく。
影が見えなくなるにつれ、花畑が揺らいでいく。花束から落ちた花びらをその場に残して、
霞むように消えていく。

「ずっと……一緒……」

噛み締めるように、少女は呟いた。
誰もが皆変わらず幸せでいられると信じていた遠い日々。それを思い出して、新たに涙が溢れ落ちていく。

「今、南方《みなかた》編集長が、堕ちた神を戻す方法を探し求めているの。だからもう少しだけ待ってあげてほしい」

燈里の言葉に、少女は困惑する。
元に戻す方法など本当にあるのか、それはいつになれば見つかるのか。
もう少しとは、あとどれくらいなのだろうか。
ただの夢物語のような言葉に、少女は燈里の目を見つめる。燈里も少女を見つめふわりと微笑んだ。

「私も探すから……誰もがみんな、笑えるように」

だからもう少しだけ。
そう願う燈里の目を見つめたまま、少女はまた一筋涙を溢す。
答えはない。
それでも少女は燈里と目を合わせ、はっきりと頷いた。



20260210 『誰もがみんな』

2/11/2026, 1:37:44 PM