sairo

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「おじさんっ!」

険しい表情をして早足で近づく少女に、叔父と呼ばれた赤ら顔の男は手酌を止めて振り向いた。
随分と余裕がなく忙しない。その様子に内心で疑問を持つが、彼女に手を繋がれている少女を認め、納得する。ここに来た時、少女に纏わり付いていた強い気配がない。切っ掛けは分からないが、どうやら一時的に離す事には成功したらしい。

「隠すやつか切るやつがほしいんだけど。どこにあるの?」
「は?あれは切れんだろうがよ、どうみても。隠すのも無駄だとは思うが…まあ、切るよりはマシか」

相変わらず向こう見ずな所が強い姪である。だがしかし今の閉じられたこの空間内では、普段抑えている本質が表に強く表れやすいため仕方がない事だと、男は苦笑した。
頭をかきながらゆらりと立ち上がると、棚の奥から古びた鍵を一つ取り出し、姪へと手渡す。

「離れんとこの奥。水鏡の間の押し入れに残ってるだろ。クガネ様には気をつけろよ」
「分かってる。ありがと」

来た時と同じように慌ただしく去って行く二人の背を見送り、男はやれやれと肩を竦めた。彼女の無謀とも言える行動力は疎遠になってしまった男の妹である、彼女の母を思わせる。
彼女の友だという、異端な空気を纏う少女に悪い影響がなければいいと、詮無き事を思いながら残りの酒を一気に煽った。





「よりにもよって離れか。やっかいだな」

舌打ちし、さらに歩く速度を上げる友に手を引かれながら、少女は少しでも自分の置かれている状況を知ろうと声をかける。

「ちょっ、と、待って。何が、なんだか」
「詳しくは後でね。時間がないだろうし」

振り返りもせずに後でと告げる友に、さらに困惑しながらもそれ以上は何も言わず。彼女がこんなにも急くのは、おそらく少女に纏わり付いていたなにかが戻ってくると知ったからなのだろう。

母屋の奥へと辿り着き、重厚な造りの扉を開ける。ぎぃ、と軋んだ音を立て見えた先は、母屋と異なり薄暗く、普段から人の出入りがほとんどない事を示していた。

「大丈夫だとは思うけれど、一応忠告。ここから先で、もし誰かに会っても眼を合わせない、口をきかない。出来るならこの離れでは声を上げないで」

何があるか分からないから、と呟く友のその表情は硬い。それはこの先から聞こえてくる声に関係があるのか問おうとして、結局は何も言えずに口を噤んだ。

薄暗い廊下を、迷いなく奥へと歩いていく。
隠すもの。水鏡の間。クガネ様。
何一つ分からないまま、流されるようにしてここまで来た。常であれば納得するまで友を問い詰めていたであろう少女はしかし、瞳に困惑と不安を乗せ、なされるがままだ。
心の底。冷静な部分が何かがおかしいと警鐘を鳴らしている。幾重にも膜を張って覆い隠してきた柔い部分を暴き立てられているような感覚に、くらり、と目眩がしそうだった。

不意に、友の足が止まる。
だが目的地に辿り着いたようではないようだ。立ち止まる友の背越しに前を見遣る。廊下の先、袋小路に人の形をしたなにかが立ち尽くしていた。

前を見据えたまま、動揺したように友は一歩後退る。

「なんで…どうして、クガネ様が外に出てきているの?」

ぽつり、と小さく呟かれた言葉。離れてはいてもその声は聞こえたらしい。袋小路に佇むなにかはゆらり、とこちらを振り向き、酷く緩慢な動きで近づいてきた。
繋いでいる手に力が籠もる。戻る事も進む事も出来ずなにかが近づくのを見ていたが、様子がおかしい事に気づく。
地を擦る歩き方。彷徨う手。近づかれる事で見えた白濁した瞳。

見えていない。ならば、と繋いでいる手を引き友と廊下の端に寄った。

「……ろ…か、り…」

酷くざらついた声が、繰り返し誰かの名を呼んでいる。漆黒の長い髪を、擦り切れ汚れた元は白かったであろう着物の裾を引きずりながら、誰かを求めて彷徨っている。
探している。あれからずっと。永い間、一人きりで。



呼んでいる。行かなければ。


手を引かれた。
視線を向ければ、険しい顔をした友の姿。もう一つの手も取られ、向かい合わせの形を取る。
なにかがさらに近づくが、二人は無言でただお互いの目を見つめ。意識が引きずられる事がないように強く手を繋ぎ、なにかが通り過ぎるのを待った。

「ふじしろ。かがり」

近くで聞こえる声。立ち止まる気配。


沈黙。無音。静寂。



布ずれの音。通り過ぎていく気配。
息を殺して、ただ音が消えるのを待つ。手は離さず、向かい合わせのまま。


音が過ぎ、ゆっくりと片手だけを離す。もう片方は繋いだまま。
音を立てぬよう静かに歩きながら、袋小路へと向かう。

左右の障子戸には目もくれず、正面の木戸に鍵を差し込む。
かちり、と小さな音を立てて開いた戸を引き、急いで木戸の中へと入り込んだ。


「ごめん。声出しちゃった」
「ううん。逆にありがとう。危なく引きずられる所だった」

友の謝罪を礼で返す。お互い深く息を吐いて、緊張が少しだけ和らいだのを感じた。

「あれはクガネ様。元は本家の守り神みたいだったらしいけど、今はここで一番のやばいやつ。この裏の日も、クガネ様が引き起こしてるってさ…普段は右の部屋に籠もって出てこないんだけどね」

なんでだろう、と首を傾げ。さぁ、と答える少女の意識の片隅で、数日前の泣いている少年の声を思った。

「まあいいや。さっさと札を取ってこのまま出ようか」

小さく笑って押し入れへと向かう。六畳ほどの和室には何もなく、友が求めているものが本当にここにあるのか疑問に思いつつ、友の後を追った。



20240826 『向かい合わせ』

8/26/2024, 4:07:48 PM