sairo

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「そこまでだ」

社の中。床に伏す、人。
男。女。年寄。子供。誰もが身動ぎ一つなく、生きているのか死んでいるのかは分からない。
声を掛けるとも微動だにしない、中心に立つ雨の龍の片割れに舌打ちする。
無音。否、雨に首を掴まれぶら下がる宮司の掠れた呼吸が耳につく。

「そこまでだと言っただろう」

二度目の忠告。
雨は動かない。ただ首を掴むその右手に力を込め。

「いい加減にしろ、童《わっぱ》が」

それより早く、蛇の尾が雨の首に絡みつき締め上げる。

「…ぐっ!」

どさり、と宮司が床に落ち。
それと同時に蛇を引き、雨を社の外へ引きずり出した。

「っ…随分、乱暴だ」
「お前に言われたくはないな」

首に絡みつく蛇を引き千切り、吐き捨てられた言葉。それに呆れて言葉を返せば、千切れた蛇を、役目を終えて戻った蔓を投げつけられる。
随分と余裕のない。まるで癇癪を起こした幼子ではないか。

「何故、邪魔をする?」
「逆に問う。何故、殺す」
「これ等が時雨を害したからだ。理由はそれで十分だろうっ!」

憎しみを宿した瞳が、静かにこちらを射抜く。

「紅藤。これ以上邪魔をするな」

伸ばされる腕。
首を掴まれ、息苦しさに眉根が寄る。それでも視線を逸らす事はなく。

「五月雨。社の中の者達は違う」
「違わない。あの男の血に連なる者。縁ある者だ。だから、」
「五月雨」

名を呼ぶ。強く。

「五月雨。彼の縁は切ってしまったよ。そうだろう、鋏」
「そうですよ。のぞまれて、ぜんぶきってしまいました!」

僅かに揺らぐ深紅と目を合わせたまま。
社から出てきた鋏に問えば、どこか誇らしげに弾んだ声音で返された。

「彼の縁は鋏が切り、藤《私》が見届けた。故にこれ以上は許されないよ」
「っ…!」

息を呑み、深紅が揺らぐ。
迷うように。拒むように。縋るように。
泣く前の幼子のそれに似て幾分か気持ちが沈むが、仕方がないと離れぬ腕に手を添え、言葉を紡ぐ。
雨にとって忌避すべき、最悪を。

「それでもと足掻くなら、その理由を無くそうか。鋏が跡形もなく切ってくれるし、社には夢もいる」
「やめろっ!」

首から手が離れ、突き飛ばされる。
そのまま崩れ落ち蹲る雨を見下ろして、首をさすり詰めていた息を吐いた。

「まったく、めんどくさい」
「ふじさま、かっこよかったよ!」
「ありがとう。後を頼んでもいい?」
「はいっ!がんばりますね」

張り切る鋏の頭を撫で、社の裏へと歩き出す。
雨は動かない。

「…何で…」

微かな呟きに、足を止める。

「何で俺達は許されない?花曇は許されているのに、何で俺達だけ」
「勘違いをするな」

何で、と繰り返される言葉を否定する。
根底から間違っていると気づかない雨に、胸中でめんどくさいと呟きながら。
膝をついて頭を撫で、告げた。

「花曇は人の子に望まれて応えた。お前達のように人の子に望んだ訳ではないよ」
「…でも」
「でもじゃない。本来応えるモノが望むから、こんな面倒が起きるんだ。時雨の方は理解していたのに、大事にして」

溜息を吐きながら、撫でていた手で頭を軽く叩く。

「今回だけは誤魔化しておくけど、次はないよ。夢にも今回だけだと言ってあるし。ただ、落ち着いたら長に話しに行きなね?」

頷く雨の頭をもう一度撫で、立ち上がり歩き出す。
社の裏。神木の側に打ち捨てられた骸の元へ。すべてを一人で背負い、雨の龍《神》に立ち向かった勇敢な人の子のせめてもの弔いに。
雨の愛し子を現世に留めたい、その望みはきっと叶わぬだろう。あの娘は雨の望みに応えすぎてしまった。
可哀想だとは思う。すべてを捨てても叶わぬ望みも。何も知らされずすべてを奪われる事も。

「最悪な日だ」

面倒事も。痛む首も。雨の龍も。人の子も。
今日はすべてが最悪だ。

神木以外に障りはない事だけが、せめてもの救いだった。



20240607 『最悪』

6/7/2024, 3:32:17 PM