のねむ

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形の無いものを、私は愛している。
例えば、誰かの声だったり。

人間を忘れる時、人は声から忘れると昔何かで読んだことがある。それを読んだ時、私は言葉に出来ない気持ちに息を奪われていった。
私は自分の声が嫌いだ。いいや、声と言うよりも喋り方だろうか。滑舌が悪く、どこか駆け足気味に息が先に出る、吐息厨と言うのとは少し違う、調子に乗ったような喋り方なのだ。喋る相手によっては多少変化はあるけれど、それでもどこか調子に乗っている雰囲気は残ってしまう。よく裏返るし、変な笑い声もだす。本当に嫌いだ。
そんな、私の大嫌いな声を、人は一番最初に忘れてしまうらしい。こんなにも、私の心を煩わす大嫌いな存在は、人にとって一番最初に消えてしまうような、ちっぽけなものなのだと。
羨ましいと思った。それと同時に、許せないとも思った。


人は他人を見る時に、自分がコンプレックスに思っている部分をよく見るらしい。
私も、相手の声や喋り方をよく見ていた。多少の見下し、馬鹿にした瞬間、お世辞、そういうちょっとした当たり前に隠す感情や、大好きだなとか、尊敬とか、本心みたいな、隠さなくてもいい感情も、全て声や喋り方に出る。
人の本心や本質というのは、大体は声や喋り方に出ているのだと私は思った。
話が面白くない人は、大抵同じトーンで、間で、喋るように、どこか共通した何かがあるのだ。
人間の、そのちょっとした不完全さも私は好きだと思った。


だから、胡散臭い声を、喋り方をしたあの人や、人を常日頃から馬鹿にして、見下して、だけども人との関わりを心から楽しんでいるあの人や、機嫌が悪くなると一気に声質が変わるあの人や、喋る人全てに楽しんで貰おうと、孤独を感じさせたくないと強く思うあの人の、声や喋り方、全てが私は好きなのだ。
見た目じゃない、あの人たちの本質を見るのがとても楽しいのだ。
きっと、この人たちも私と同じくらい自分の声を不愉快に思っているかもしれない。だけど、心が籠っているからこそ、誰かの心に響くんだろう。
その事実が、何よりも愛おしかったし、私の救いでもあった。



人は、人を忘れる時に、声から忘れる。
やはり、羨ましいと思った。許せないとも思った。勿体ないとも、思った。相手の本心や本質を、喜怒哀楽を感じられた声を忘れていくのは。心の籠った、声から忘れていくのは。
人は、私が死にたくなる程、体の感覚が無くなるほど、悩んだ声を、いとも簡単に忘れていく。



私は、今でも沢山の人の声を覚えている。顔も匂いも殆ど覚えていないような人達の、声だけを。
その中には、深夜ラジオから流れるような声で、桜の似合う春のような穏やかな喋り方をした彼もいた。
私を精一杯見下して、馬鹿にした人もいたし、私に対して何も思っていないような人もいた。
それが大好きだった。頭の中の中まで覗けている気がしたから。


顔や匂いとか、そんな自分の綺麗な想像や思い出で補える部分ばかりを人は覚えていくのだと思った。
改善できるような、形のあるものばかりを覚えていくのだと思った。
人の本心や本質は変えられない様な大きなもので、それは目には見えない。形の無いものだと思った。
顔や匂い、そんなものではなくて、掴むことすら、二度と同じものを見つけることすら出来ない、とても大きく苦しいものなのだ。
だから、私は形の無い、唯一無二の人の声を愛している。







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コンプレックスは、良く言うと、個性です。
他の誰も持っていない自分の、自分だけの証。
私もきっと、もっと上手くやればこの声も使い物になるのだと思います。でも、話が下手で、調子に乗っているので、だめかもしれませんが。

顔も見えない人達の、声で沢山救われてきました。人を馬鹿にしている言葉を吐きながら、人を愛しているような人も沢山居ました。
声には不思議な力があります。
声一つで、何かが変わります。喋り方一つで、何かが変わります。それなのに、人は声から忘れていくのです。
本当に、馬鹿な生き物だと思います。きっと、私も忘れていくのだと思います。綺麗な思い出ばかりに気を取られて、彼らの本質すら見失う。そんな日が来るのだと思います。
人間だからこそ、覚えることが出来る。
そして、また忘れることすらも出来てしまう。
面白いですね。

因みに。単純に私、声フェチなんです

9/24/2023, 3:50:26 PM