久住弥生

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「えっ、待って、何で」
と、口に出してから、ハッとする。
乗客の視線にまたドキッとして、スマホをリュックに突っ込む。誤魔化すように降車ボタンを押した。
まだ会社の最寄りのバス停はもう一つ先だが、そそくさとリュックを抱えてバスを降りた。
バスを見送ってから、彼女はそっとスマホを取り出した。

それは間違いなく彼からの連絡である。

久しぶり。から始まるそのトーク画面を、彼女は開くことができない。
昨日の晩も、空っぽのその画面を、眺めていたはずなのに。

-こういう時は、体を動かすんだよ

それは昔彼女が彼に言った言葉だ。頭が止まっちゃったら体を動かすんだよ。そしたら頭がついてくるから。

もう一度スマホをカバンにしまってから、彼女は歩き出した。
さっきのバスが信号で止まっている。彼女が追いつく前に信号が変わってまた距離が開く。
出勤時間でももうジリジリと暑い。日傘をさす人も増えた。いくつもの車に、人に、追い越され、すれ違い…

考えるのをやめようって、昨日決めたばっかなのに。何で君はいつも、私を変えようとするのかな。

答えが出るわけもなく。彼女はいつものビルにたどり着いていた。自動ドアが開くと、汗ばむ額にひんやりとした風が心地よかった。

エレベーターの中で彼女はふぅっとため息をついた。
考えないと決めた。直感でいこう。
それから、ぱっとスマホを取り出して、くだんのトーク画面を開く。絵文字もスタンプもない、そっけない文章が飛び込んでくる。

「久しぶり。
 洋介さんの店でバイトさせてもらうことになったんだ。
 最近会ってないけど元気にしてるのか?
 帰ってこいよ。たまには。」

あんたは親戚のおっちゃんか!そこはあんたの家ではないし、私の実家でもないけど!ほんで、あんたがいたら余計に帰りにくい!私より私の親戚と仲良くなってんの何なの!

ひとしきり心の中でツッコミを入れたのち、大きく息を吸って、怒涛の速さで返信した。

「久しぶり。私に会いたいなら素直に会いたいと言えばいいのに。繁忙期が終わったら遊びに行くね」

それから、通知をオフにした。
これ以上は今日は無理だ。
キャパオーバー。
お仕事モードの笑顔に切り替えて、エレベーターを降りる。

「おはようございます〜」
今日も1日頑張ろう。


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7/12/2023, 11:06:34 AM