与太ガラス

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 前日投稿した『鏡ヶ池』のエピローグとして__


 僕は入水せずに鏡ヶ池のある山奥から戻ることにしたが、そもそも泊まるところもない。死ぬつもりだったから寝袋も用意していないのだ。このままでは何もない山中で夜を明かさなければならない。

 そんな僕の不安をよそに、ゅぃなさんは先頭を切って山を下っていく。そして開けた通りに出たかと思うと、少し歩いたところに建物が見えてきた。そしてゅぃなさんは「月の里」と書かれた旅館の前で立ち止まった。

「もしかして」

「うん、今日泊まる宿だよ」

 そうだった。ゅぃなさんはもともと死ぬつもりなんかなかったんだ。

「ユウタくんの部屋も取ってあるからね」

 なんて手際がいいんだ。もしかして全てを予期していたのだろうか。

「あ、もしかして同部屋、期待してた?」

「そ、そんなわけないじゃないですか!」

 ゅぃなさんは「あはは」と笑って旅館に入って行った。食事と入浴を済ませると、二人は僕の部屋に集まった。ギャルメイクを取ったゅぃなさんの顔をその時初めて見た。

「アミノユウタくん……だよね」

「え、なんで?」

 なんでバレた? 僕は自分の持ち物を見返して、どこかにフルネームが書かれていないかを確認しようとした。

「私のこと覚えてないかな」

 もともと知り合いだった? そういう詐欺? お前の素性はわかっている、今回の事を秘密にしたければこの口座に現金を……

「同じクラスだったイサヤマユイナ」

 同じクラス。どの学校とか何年のとか、そういう前置きなしで言うということは、この人は知っているんだ。この人は、僕がクラスからいなくなった年の同級生だ。

「中2の時のクラスメイトか」

 イサヤマユイナの目が期待を込める。

「え、じゃあ」

「ごめん、覚えてない」

 ごめんと言いながら、覚えているわけないじゃないかと言いたかった。僕は2年生に上がってすぐにいじめの標的になった。それからたった2週間で不登校になったんだ。クラスメイトの顔なんて覚えてるわけないし、忘れよう忘れようと思いながら今日まで生きてきたんだから。それでも僕をいじめた奴の顔だけは、毎日思い出すんだから。

「そっか」

 ユイナは少し声を落として言った。

「あたし、ユウタくんの後ろの席だったんだよね。だから、いなくなった後も、空いてる机を毎日見てた。だから、ずっと考えてたんだ」

 僕はユイナの顔を見た。素顔で話すユイナは真剣な顔をしていた。

「いじめてたヤツがどうとか、ユウタくんがどうなっちゃったんだろうとか、そういうのを考えるっていうよりも、あたしは何を考えればいいんだろうってずっと思ってた」

「僕が投稿したSNSのアカウント、僕だって知ってたの?」

「覚えてないんだよね」

 ユイナは少し寂しそうに言った。

「ユウタくんがカバンに付けてた狼のキーホルダー、後ろの席のあたしに自慢してくれたんだよ。『こいつは僕の分身で漆黒のウェアウルフって言うんだ』って」

 僕は急に恥ずかしくなった。そんなことを自慢げに話していた自分にも、いまだにそのハンドルネームでSNSをやっていることにも。

「あのアカウントを見つけて、ユウタくんだったらいいなと思いながらずっと見てた。もちろん投稿なんてほとんどないから、毎日意識してたわけじゃないよ」

「それで、あの投稿を見つけた……?」

「そう。あれを見たとき、あたし心臓がギューって締め付けられたの。それで思ったの。あたしはこの日のためにずっと考えてたんだって」

「じゃあ、最初から僕を止めるために?」

「んー、もちろん止められたらいいとは思ってたけど、ユウタくんが本当に覚悟してるんなら見届けようとは思ってたよ」

 なんでこの人は、こんなにも僕のことを尊重してくれるんだろう。

「『じゅすい』の意味もわかってたんだ」

「あはは、もちろん。でもギャルって『おバカ』演じるの簡単でいいね」

 僕はこの日はじめて涙を流した。中2の時から何年も流していなかった涙だった。

 翌日、僕たちはまた一日かけて家路をたどった。僕は戻るためのお金を持っていなかったので、ユイナから借りなければならなかった。そういえば宿泊費も払ってもらっている。新幹線に乗る駅で僕たちは別れることになった。

「あの、お金は必ず返します」

「じゃあその時までは絶対生きててよ」

「はい。必ず」

 二人で顔を見合わせて笑った。

「今度はちゃんと観光で、鏡ヶ池に行こうね」

「そうですね。一人じゃ絶対行かないですけど」

「うん、一人で行くには遠すぎる」

「では、また」

「バイバイ、またね」

 そうして二人は手を振り合って別れた。

3/23/2025, 1:00:10 AM