今日は何かとトラブルに見舞われた1日だった。レジの不具合、スタッフの教育、クレーム対応エトセトラ。勤務年数が長いというだけで、何か起きるたびに呼び付けられて対応をさせられる。最後のクレームに至っては、お客さんがスタッフの接客態度が悪いと伝えたスタッフの対応が悪かったと呼び出され、誠心誠意謝罪をしたがお客さんの怒りが収まらず、他の客が気に入らないだの、私の容姿がよくないだの、怒鳴るだけ怒鳴ってそのまま店を出られた。お客さんが出て、後輩に「あの、大丈夫ですか」と声をかけられて漸く、自分の手がガタガタ震えていたことと、放心してしまっていたことに気づいた。
トラブルが発生したら、不在がちな店長に宛てて引き継ぎをしなければならない。今日起きたことをちまちまメールに打ち込んで、翌日に送信されるように設定して、営業中に終わらなかった仕事を片付けていたら、後輩たちがさっさと退勤していった。
「なんで、私ばっかり」
一人きりの店内で思わず呟く。同時に目の奥が酷く痛んだが、大きく深呼吸をしてぐっとこらえた。
ようやく仕事を終えて、へとへとの体を引き摺るようにしてバックルームに戻った。荷物を大雑把にまとめて持ち、戸締りをして店を施錠して、しんと静まった深夜の街を歩く。人はまばらで、駅に近付くにつれてベンチで横たわっている人や、道に座り込んだ仲間を介抱するグループなどが増え、ふと今日が金曜日の晩であることを実感した。
そういえば、今日は推しの新情報発表の日だったっけ。
ポケットに押し込んでいたスマートフォンを取り出す。公式LINEやアプリからの通知が並ぶロック画面をスクロールして、推しのSNSの通知を長押しして詳細を開いた。
『新曲MV公開しました!CDの発売日は◯月×日。予約はこちらから!』
駅のホームに停まっていたいつもの終電に乗り込みながらイヤホンをつけて、ガラガラの車内の座席を確保してから、ロック画面を開いてURLをタップした。
デビューしたばかりの推しグループのMVが流れ始める。新曲はロックな曲調で、前向きな歌詞の多い応援歌のような曲だった。こちら側に向かって力強くガッツポーズをしながら笑顔で歌う推しの姿に、気付けば涙が溢れていた。
ガラガラの車内とはいえ、乗客がいないわけではない。嗚咽を漏らす私に構う人はいないが、訝しげにこちらを見ている視線に気がつく。恥ずかしくなって袖口で涙を拭いながら、同じ投稿についていた動画を再生した。
『デビューシングルをたくさん買っていただいたおかげで、光栄な賞をいくつもいただくことができました。いつも僕たちを応援してくれる皆さまの愛に応えられるように、そして、僕たち同じようにファンの皆様を愛していることが伝わることを願って、この曲を作りました』
ふと。部屋の隅に積んでいる彼らのデビューシングルのことを思い出した。フリーターの少ない給料を、可能な限り注ぎ込んで、自分でできる限り貢献した証、愛の証。それを彼らは上回る形で返してくれる。デビューしてからというもの、推しのできる仕事の範囲が広がって、日々いろいろな新情報をくれる。テレビ出演、ラジオレギュラー決定、コンサートにファンクラブにグッズ。どんどん変わる環境と新しい情報に、私はお金を払うことしかできないけれど、でもこれが唯一彼らに愛を注ぐ方法だから。
SNSの投稿には続きがあった。デビューコンサートの追加公演の決定、チケット申込の開始、CD予約開始の案内。それらをひとつひとつチェックしながら、やさぐれてる暇なんてないと姿勢を正した。どんなに仕事がクソだって、ついていなくたって、私にはこれがある。早速CDを全形態予約して、追加公演も全公演申し込んだ。
彼らに愛を注いでいくことが、私の生の活力になるから。
電車を降りると冷たい風が全身に突き刺さる。職場よりも田舎な我が家のそばは、向こうより体感3度ぐらい寒い気がする。
家の方向に歩いていきながら、それにしたって供給が多いなと思わず笑ってしまった。
「……うん、転職しよう」
静かな住宅街に響いた小さな一言は、やがて私の世界を変える。
12/13/2024, 4:53:08 PM