わたしが思う小さな幸せは、自分のからだもこころも元気なときには気づかない幸せのことだと思う。
ごはんが食べれること。
いろいろな食べ物のねだんが高くなってきているけど、どうにかそのとき安い食材を選ぶなどして、やりくりしながら、美味しいごはんをつくることが楽しい。
最近は玉ねぎ餃子を作った。餃子の餡を包むことが少しずつ上達していくのを実感できるのも嬉しい。
家があること。
家は、毛布にくるまって寝れるところ。その日の課題を済ませて、ちょっと疲れを感じながら、まくらに顔をうずめる瞬間がたまらなく心地よい。
音楽があること。
今の自分の気持ちに寄り添ってくれるような歌詞は、わたしのこころをゆっくり解してくれる。メロディはこころを躍らせてくれる。
文学があること。
文学は、自分は一人ぼっちだと思ったときに、ふいに”ともだち”になってくれる。だれにもいえない、ときには自分でも気づかなかったことも代弁してくれる。本を読む度に”ともだち”が増えていく。すると、わたしは一人ぼっちじゃないと気がつく。
自然があること。
人工的につくられたものが多いこの世界にも、自然はたくさん横たわっている。
空、風、海、森…挙げたらキリがない。
空が少しづつ夜から朝に、朝から夜に移ろっていくのをぼんやりと眺めると、”朝と夜が切り替わる瞬間”がないことに気がつく。
風も海も森もそうだ。自然は、”境目のないもの”でできていると気がつく。
すべて輪っかのようにつながっていることに気がつく。
そうやって自分なりの解釈をできる時間を一週間のうちに数十分とることが、わたしにとって重要な時間でもあり、小さな幸せでもある。
からだもこころも元気をなくしてしまったときは、小さな幸せを感じるこころは消えそうになってしまったが、少しずつ元気になっていくにつれて、気がつくことができた。
それは、わたしに寄り添って話をきいてくれた人たちがいたからできたことだ。人と関わることは、ときに辛いことや悲しいこともあるけれど、そればっかりじゃない。楽しくて、嬉しくて、涙が溢れるくらいの優しさに息をするのが楽になる瞬間もある。
わたしはからだもこころも元気になっても、小さな幸せとそれに気がつかせてくれた人たちを忘れないだろう。
__________________________________小さな幸せ___。
3/29/2025, 9:56:54 AM