青というのは、どんなに憧れそんなに手にしたいと思っても手にする事は叶わない色である。
空の青、海の青はあんなにも美しいのに。
それを捕まえようと手を伸ばしても掬い上げることすら出来ない。
故に人は青を欲すのだ。
故に、青は希望で有り叶わない夢への象徴と言われるのだ。
ーーーーー
今日も今日とても日課の古本屋巡りに勤しんでいた。
一昨日も来た、なんて事はどうせも良くてただこの空間でこの本屋特有の空気を吸いに来ているのだ。
それに、三日経ってもやっぱりあの本が欲しい。
【黒猫の旅路】
美しいBlue Backの装丁をされた少し古めかしい本。
けれど星々の描かれた濃く深い紺色にもなりそうな夜の青と、背表紙にポツンとまるで星を眺めているかの様な黒猫の…雰囲気が素敵だった。
表紙買い、というやつだ。
何度調べても誰がこんなに素敵な装丁を描いたのか分からなかった。
てくてく歩きながら、吹き付ける風を冷たいと思うのに頭上遥から輝る太陽の事は暑い、と思う。
よく分からない気候でも、手の中の本の事を思えば足取りも軽い。
コートは羽織っていないが、今なら北風にも太陽にも負けないと思った。
「ぁ。猫」
猫、と呼ばれたのが自分だと理解したのか耳を掻いていた黒猫が、一瞬鬱陶しそうにこっちを見て溜息を吐いた。
「此処が好きなんだねぇ。」
猫の溜息はリラックスしてる証拠だって聞いた事がある。
「隣、座っても良いですか。」
もう少し家に帰りたくなくて、猫に話し掛けてみる。
道路沿いとは言え車は殆ど通らない。有るのは、砂利の敷かれた空き地とこの黒い猫。
元は何かの駐車場だったらしく、黒と黄色のロープが車幅を取って地面に埋められていた。
見飽きた光景だ。
この町もこの道路もあの家も何も変わらない。
変わったのは…変なのは私の方。分かってるよ。そんな事。
私だけがこの環境に退屈してこうして本屋通いで何も変化しない決まり事の様に流れる日常、脱しようと踠いている。
猫はこんなにものんびりと暮らしているのに。
「ねぇ、猫さん。」
まさか。猫が答えてくれるとは思っていない。
ただ、そういうファンタジーに浸ってみたかった。
だから話し掛けた。
「猫さんは、この本の絵を描いたひと誰だか知りませんか」
この紺色と青の空、そこに光白色の星、
それを見上げているような黒猫。
「綺麗だと思いませんか。素敵…ほんとに綺麗。」
きっとこの人には、私から見れば退屈した世界でも。
この人の瞳には、全く別の美しい世界が見えているんだと思うとそれが羨ましかった。
私の世界は、とっくの昔に…いつの間にか退屈になってしまっていてもうずっと綺麗だと思った事は無い。
けど、本の中なら何だって素敵に見える。
本を読んだ後に見るならあの赤い自販機すらも、物語の続きの世界として認識出来る。
だから、知ってるなら教えて欲しいと思った。
「世界の見方を、素敵に世界を見続ける方法を教えて欲しいな。」
「んなー」
猫が鳴く
「ぇ、」
「んなーっ」
黒猫はスッと立ち上がり振り返りながら私を呼ぶ。
そんな…嘘でしょ
「んなーー!」
「ぁっ、はい、今行きますっ」
人生で初めて黒猫に叱られた。
あぁでも、前に公園で猫さんに呼ばれた時は水の蛇口を捻ってくれ、だった。
勿論、蛇口でもなんでも捻りますから怒らないで。
猫にまで怒られてるの私ー…。
てくてく歩く黒猫さん。
結構遠くまで行くんだな。猫の縄張りはそんなに広いのか。
てくてく着い行く本を抱いた女。
絶対に怪しい。
「あの、猫さん…そろそろ目的地は、ま…だ、?」
まだ着かないんですか、そう言う筈だったクチはポカンと開いたまま目だけは必死で目の前の状況を読み取ろうとしていた。
何、何が起きているの
「んなぁー」
黒猫さんは、まだにゃーと鳴く。
けれどこの…突然現れた白亜の建物達はなんですかっ!?
波の音がする
「待って。ここら辺で波の音がする場所なんてない。」
海はおろか川もない。
況してやこんな地中海にでもありそうな白亜の壁なんか、見た事がない。
「うわ」
立ち止まる私を叱る様に黒猫がふくらはぎを頭突きする。
ガツガツ足音を立てて歩いてしまう。
どうしても、この場所が何処なのか警戒して足音が荒くなる。
それに。
猫が増えてる…私の後ろをぞろぞろ自由に歩いて来ながら、絶対に逃さないぞと言う気迫すら感じられてすっかり怯えていた。
爪の牙も無い人間にできる事は、この猫さま達の機嫌を損ねず歩き続ける事。
「んな。」
辿り着いた一軒の家。
白亜特有の少しザラ付いた壁は、確か石灰が混ぜ込んであると何かで読んだ。
つまりペンキじゃゃない。
「んなー!」
「うわぁ、はい、え!?入るの!?」
ひとの家の壁にスタッと登り、開いている二階の窓から我が物顔で入って行った。
後ろには、まだ他の猫達が集まって私を取り囲んでいる。
逃げられそうにないなら、目の前の家の呼び鈴を押すしか無い。
ーーはい
男の人の声がした
一瞬怯んだ
だけど、猫達が解散してくれない。
私は誰とも知らない男性に名乗って助けを請う。
「すみませんっ、猫に襲われてて助けてください…っ!」
ーーは?
そのびっくりした様な声が、頭のおかしい人間を笑う声でなくて良かったと心底安心した。
ーー待っててください、直ぐ開けるから
もしかしたら私より若いかも知れない。
そしたらどうしよう。
変な女だと思われる。
けど、猫に襲われるのも怖いっ。
ギィと玄関のドアが開いた、途端何かが飛び出してきてドスッと左肩に衝撃が来た。
重たい衝撃と、ふわふわの耳。
「んなー」
さっきの黒猫さんっ。
「おいこらっ、お前また誰か連れて来たのか…っ。」
その人は
青いシャツを着ていた。
白亜の壁によく映える真っ青な、夏みたいな青のシャツ。
「うわ。散れ、散れお前ら…わかったから解散してくれ。」
「ナーー!」
「うるさぃっ。良いからどっか行けっ。お節介猫っ。」
このひとも。
猫に叱られてる…何したんだろ。
「あの、」
「はいっ!」
「取り敢えず、上がっていきますよね…あいつらの気が済むまではこっから出られませんし。」
「はい」
気の弱そうなひと、に見える。
猫に叱られて猫に言い負かされるんだから、きっとそうだ。
「ふふっ、あの、すみません」
「何か。」
初めて会った人にこんな風に笑うのは失礼だとは、思うんだけど。
「背中、青いシャツの背中に猫さんの足跡付いてますよっ。」
絵の具でも踏んだのかクッキリと足跡が付いてる。
うん…?
って事はつまり、
「うわ。お前最悪っ。女の子の服汚すなよ…っ」
私の肩にも同じ事が起きている。
クッキリハッキリ猫さんの足跡が付いてる。
よりによって白いシャツに白いキャミソール。
絵の具は涼しいを優先させた服を通過し、私の肌にも色を付けた。
逃げる様に飛び降りた黒猫さんは、スタスタと家の中へと入って行った。
この家の子だったんだ…。
「着替えっ、あ、どうぞ入って。着替え探します今洗えば落ちるかも、漂白してるからそこに一緒に突っ込んで…あの、」
「あの、この絵を描いたひとですかっ!?」
玄関を一歩入った。
そこには青があった。
空の青、海の青、夜の青に朝の青、世界を創った天地の青が有った。
「はい、その本の表紙おれが描きました。だから呼ばれたのか。他に選ぶ基準無かったのか…確かに的確だけど」
「んなーっ。」
黒猫さんが自慢気に鳴く。
「だったら仕方ないか。えっと、おれは星野海斗です。絵を描いて此処で青に辿り着く研究をしています。この猫達と一緒に。」
男の子は、いや私と変わらない様な歳の男性は今何を言ったの。
「ようこそ。貴女はこの猫達に選ばれた、おれのアシスタントです。青に興味がありますか。」
「…あります」
有る。
手に入らないとされている青の研究。
「良かった、詳しい話も説明も後でちゃんとやるんで、取り敢えず…着替え取って来ますね。おれのしか無いけど、そのままだと服だめになるから。」
座ってて良い、と促されたソファは部屋の向こうにあるらしい。
それより私は、彼の描く青が見てみたかった。
「触らないんで、見ていても良いですか」
「うん。」
星野さんはそれだけ言うと、足に絵の具を付けた黒猫さんを捕獲して二階へと上がって行った。
背中にはまだ猫さんのスタンプが付いてる。
何処かしたり顔の猫さんが面白くて、つい見えなくなるまで眺めてしまった。
絶対今から洗われるのに、太々しいんだなあの子
7個並ぶキャンバス。
そのどれもが海で空で青。
「綺麗…素敵。」
私はいま目の前に見た事も無いくらい、胸がいっぱいになる青の景色を見ている。
憧れと、どうしたって手に入らないもどかしさと、だからこそ美しい海と空の青。
ほぅ、と息を吐きひたすらに焦がれた青。
この世界じゃない世界、が此処にある。
「あの、おねえさんっ」
「はいっ!」
「シャワーで良かったら使いますか、服はこれで良い…やっぱデカい?」
「んふふっ、」
「え、なに。やっぱおれのじゃだめかな」
違う。そうじゃなくて。
服なんか着れたらなんでも良いから、それよりも。
「顔中に猫のスタンプ押されてますよっ。」
きっと洗われる事を察知した黒猫さんが暴れたんだな。
「うぁ~ー…いいです、」
何もかもを諦めた様な人間と、それでもやってやったぜという表情の黒猫さん。
面白いふたりだ。
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主にBL
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5/3/2025, 1:06:07 PM