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自分の心臓の音が聞こえる。息が上手く出来ない。視界が揺れる。

『...死ぬかも。』

わたしはとうとう高校には行けなくなってしまった。


朝から夕方まで学校で勉強。それから部活。家に帰ると課題に追われる。定期テストなんかにも全力で取り組んで、今思えばすごく忙しい日々だった。でもそれがなによりも楽しかった。それなりに友達もいて、わたしの人生の中でもかなり充実していた時期だったと言えるだろう。

高校2年生の冬のこと。ひょんな事から頻繁にパニックを起こすようになってしまった。しかも初めてパニックを起こしたのは教室だった。鼓動が早くなるのを感じ、呼吸が乱れ、視界が揺れる。誰かが話しかけてくれても何も入ってこない。怖い。怖い。怖い。
精神科で病名までついてしまった。精神病患者になってしまったのだ。

それでも薬を飲みながら無理やりにでもどうにか学校に行き続けた。“不安”だったからだ。
自分で言うのもおかしな話だが、わたしの成績は優秀な方だったと思う。毎日帰宅後もかなりの時間を勉強に費やし、テスト前は1日10時間以上の勉強が当たり前だった。人より努力しているという自負があった。2年生の三者面談で先生に『このままの成績がキープ出来ればあなたの目指す学部のある○○大学の推薦をあげられるかもしれない』とも言われていた。それなのにこんなよく分からない病気のせいで人生を棒に振りたくない。夢を諦めたくない。その一心だった。

しかし薬を飲む量は日に日に増えていった。精神科ではカウンセラーに大泣きしながら話した。『わたしは大学進学を諦めたくない。』『みんなと同じように生活したい。』『“普通”に戻りたい。』『なんでわたしがこんな目に。』

頑張れば頑張るほどわたしの症状は悪化していった。友達も腫れ物扱いしてきているのを感じた。腫れ物扱いとはいえそんな状態のわたしと関わってくれていたのは友達の優しさなのは頭では分かっていたけれど、どうしても辛かった。

わたしはとうとう高校には行けなくなってしまった。

高校どころか外に出るのさえ怖くなった。俗に言う引きこもりになってしまった。人生が終わってしまったように感じた。こんなはずじゃなかったのにって。

当時のわたしは視野が狭かった。高校に行って、いい大学に行って、夢だった職に就く。これだけがわたしの人生における正しい道で、その他は外れた道だと思い込んでいた。周りの人間が『大学は今じゃなくても入学できる』とか、『病状が落ち着いたら進学じゃなくて就職を考えてもいいんじゃない?』とか言ってくるのに対して、無責任だなとしか思えなかった。
人生の道を外れてしまったわたしはいっそ死んだ方がマシだとまで思った。その気持ちは誰にも話せず苦しかった。



あの頃の不安だったわたしへ。
確かにわたしは当時描いていた人生設計とはかなり離れた人生を送ってる。でも、決してこれは不幸せな人生ではない。周りの人と違うからって、それが必ずしも悪というわけではない。
今のわたしはあの頃不安だったわたしのおかげで強く生きられています。

生きていてくれてありがとう。

5/25/2023, 10:49:04 AM