どろどろ

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わたしは満たされている
少なくとも表面上は。

頭もそれなりにいいし運動神経も、まぁわるくない。
見た目も整っているほうらしい。
友達もいて、誰とでもすぐ打ち解けられる。
みんなの頼れる姉的存在で、いつも相談に乗っていた。
恋愛も人間関係も家族のことも。なんでも聞いたし、寄り添って、アドバイスもサポートもなんでもした。

だからだろうか、人に頼ることができなかった。
物心ついたころから親は仕事が忙しく、たったひとりの兄とは殆ど話さない。
環境の悪さを自覚したのは小学5年生のころだった。
父はアル中で暴力的。母も父よりはマシだが、似たようなものだった。兄は……言いたくもない。
小学低学年の頃は当時は気づいていなかったが、改めて考えるとイジメられていたんだな、と思うこともあった。と言ってもとても軽い嫌がらせ程度や無視くらいでどれもすこししたらすぐなくなっていたものだった。
人に頼れないから、どんどん自分が追い詰められていくのがよく分かっていた。

気付かないふりをして、何もないような顔で、へらへら笑うことで自分を維持していた。
なんの改善にもならないことくらい気づいていた。
それでも辞められなかった。人に頼ることも出来なかった。
弱さを見せることができなかった。
頼られること以外で自分を象徴するものが思いつかなかった
だから頼られる立場でいることに執着していた。
もちろん、そんな生活を続けていればストレスが溜まるわけで。

ぼーっと、ひとつの言葉が頭に浮かんで、「これをしたらわたしも楽になれるのかな」と軽い気持ちでやってみた。
最初は数ヶ月やらないこともあったし、キズもとても浅くて血が少し出る程度だった。
でも、少しずつ頻度が増えていって、キズの深さもどんどん深くなっていった。
本格的に手当てのものを買うようになり、切れ味の良い刃物も買うようになった。
ついには、脂肪が見えるほどまで。
夏はアームカバーをつけてやり過ごし、冬は長袖。
プールはいろんな理由をつけて休んでいた。
どうやら、わたしは演技も隠すのもうまいらしい。
だれにも気づかれることなく、月日は経った。

ある日のことだった。
転校生が来た。
静かで大人しくて大人びていて、綺麗な長い黒髪の女の子だった。いつも長袖を着ていて、切れ長で伏し目がちで、身長がすこし高かった。
わたしはその子が苦手だった。
正確には、その子の瞳が苦手だった。
目が合うと、僅かにその子は目を細める。魂まで見透かされている気分で、わたしはつい目を伏せてしまう。
席も別に近いわけではない。それでもわたしはイメージを守るためにその子に話しかけた。
あまり口数の多い子ではなかったが、少なくもなかった。
話す言葉は少ないのに意思が伝わる。とても話すのが上手い子で、自然と会話が続くような、そんな話し方。
目立つわけじゃないが、自然と輪に溶け込んでいるタイプ
わたしとは毛色が違う、でもまったくちがうわけでもない。
ふっと、微笑む顔が可愛い子だった。
零れるような笑みで、同性なのに不覚にもドキッとしてしまう。
モテそうだな、とぼんやり思った。妙な感覚がした気もするが、なかったことにした。

自然と、わたしとその子はよく一緒にいるようになった。
仲良くなって、わたしにはよく微笑んでくれるようになった。なんだか、猫に懐かれた気分で優越感があった。
その子と関わるようになってから、わたしの傷は少しずつ増える頻度が減った。逆に増えることもあったけど。
それでも傷は少なくなった。
自分でも気づかないうちにあの子が精神安定剤になっていて、依存していたんだと思う。

ある日なんの前触れもなく言われた。
私の家で勉強会をしていた時だった。
ふたりで黙々と課題を片付けていた。
あの子は急に手が止まったかと思えば、すっとこちらを見据えてきた。
わたしは口角が引き攣りそうになるのを堪えて微笑んだ。
わたしはまだ、この瞳が苦手だった。その子のことは大好きだけれど、見透かされているような気分になるこの瞳は苦手だった。

「ねえ、なんでアームカバーずっとつけてるの。」

内心、冷や汗をかいた。
でも、隠すことには慣れていたしわたしは演技が上手いから、こう言ったんだ。

「んー?ちょっとね。ヤケドのあとがあってさ。
あんまり見せるものでも無いし、いつも隠してるんだ。」

少し眉をさげて、へらっと微笑んで見せた。

「……ふーん。」

わたしの左腕をみつめながら、少し目を細めたあとふいっと目を課題の方へ戻した。

「まあいいけど。」

あっさり興味を絶たれて、安心したような、落胆したような、複雑な気持ちになった。
その日はそのまま、終わった。

3日後
また勉強会をしていた時のことだった。

「ねえ、みせて。"ソレ"」

「……え?こ、これ……?
前も言ったでしょ?ヤケド跡があって……」

「違うでしょ。」

たぶん、人生で1番あせった。
その子に嫌われたくなくて、引かれたくなくて何回も断ったけれど、その子は諦めてくれなかった。

「……ご、ごめん。見せたくない。
ほんとに……ヤケド跡だし……見せるものでも無いし……」

無自覚に左腕をさすった。

「……左腕をさする時、アームカバーが動くからケロイドが少し浮き出てるんだよ。
たぶん気づいてるの私だけだろうけど。」

「……ぇ、」

「別に引かないし嫌いにならないよ。
わたしも同類だし。」

言葉が出なかった。
情報を処理できなかった。
頭がくらくらして、めまいがしそうな気分だった。

「ねえ、いっしょにいこうか。」

どういう意味か、一瞬で理解できた。
怖かった。
───嬉しかった自分が。

「……な、…っ
………わた、し……?」

「嫌とは言わないんだね。」

「……っ、
……本気?」

「うん。」

数秒、沈黙が流れた。
体感では数十分だったけど。


ねぇ、わたしはね。
君と出逢って朝を迎えたいと思うことが出来たの。
君がいるから毎日が楽しくて堪らなかった。
私は君と一緒の朝が欲しいのに、君は私と一緒に夜を終わらせたいの?
同じなのに、方向が違う。
もし断って朝、君がいないならわたしは夜を終えてしまうかも。なら、一緒に夜を終えたい。
どうせいつか朝は迎えられなくなる。もともと朝がほしいとは思えなかった。"君のいる朝"が欲しいだけで、"朝"自体は好きじゃなかった。
最初から断る選択肢なんてなかった。

「……いいよ、いこっか。」

その夜に見た海が今までの中で1番綺麗だった。

──────でも結局最後まで言えなかった。
あの子は、言いたいこと全て言ったんだろうか。やりたいこと全てできたんだろうか。
羨ましい。怨めしい。
ねえ。知ってた?私はね、壊したくなるほど君が好きだった。その細くて長くて白い首に手をかけて、跡を残して、苦しそうな呻きと表情を見たかった。
冷たくなった体温を抱きしめて、触れて、喰ってわたしの一部にしたかったんだ。
ねえ、わたしは成仏できなさそうだ。
どうしたら良かったの?どうしたら、ふたりは幸せになれたの?

君と出逢って幸せになったよ。君と出逢って安心したよ。君と出逢って苦しくなったよ。君と出逢って君をぐちゃぐちゃに潰したかった。
同じなのにわたしより輝いてる君に愛憎を抱いてしまった。
さいごまで醜かったわたしを許さないでね。

5/6/2026, 1:48:47 AM