hikari

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夢と現実


夢か現実かわからなくなったことが何度かある。
ストレスが限界で、叫びながら起きたこともあるし、襲われた夢を見て隣で寝ていた元彼の肩に噛みついたこともある。
寝ている自分自身は、自分でどうすることもできない。私はそういった、コントロールできない自分と向き合うことがとても嫌だった。あまりにも神経質で弱々しい自分が、無意識に露呈しているからだ。

元彼の肩に薄くついた歯形をみて、私はストレスや自律神経の乱れなんてものは都市伝説かなんかだと思っていたのに、人生で考えるべきリソースをそんなくだらないところで割かねばならぬことに絶望した。また、それを考えるきっかけが、自分で見た夢から、だなんて。非現実的であるのに、事実健康上の問題という、かなり現実的なものであることに頭を抱えた。

中学生女子しか見ないと憶測していた夢占いを、社会人になってから調べるとは自分でも考えもしなかった。また、一体誰がどんな根拠を持って書いてるのかわからぬ夢占い検索結果は、妙に的を得ているようで気持ち悪かった。

ただ、最近、至極真っ当な頭で考えたとしても、夢と現実の違いなんてないんじゃないのかと思ったりする。

私の夢は、私の頭で作られたものでしかない。
悲しく嬉しくもそれは現実ではなく、ただの私の創作物である。

だが、現実もまた、そうなんじゃないかと、最近思う。
つまり、全部私が私のフィルターを通して物事を理解してるんじゃないのかってこと。

傾聴能力や、共感能力が対人関係では大事ですよということは、自己啓発本やビジネス本で嫌というほど読んだ。だけど実際、相手がどう感じてるかなんて相手次第だ。相手がいまどんな生き方でどのくらいのストレスでどんな人生かなんて、到底わかることなんでできない。きっとそれは、私の想像を超えるものであることに間違いない。

私を喜ばしてくれる人、傷つけてくれる人も、私は私のフィルター越しでしか見ていないんじゃないだろうか。

相手は何を考えているのかなんて本当は一生かけても理解できない。世の中でよく言われてきたが納得できなかったことが、私は夢について考えることでひどく納得した気になってきている。

じゃあ、相手のことを理解できないことがわかったなら、私が大事にするべきことは、自分が変わることなんだろうな。相手の立場に立って考えることなんてできないんだから、相手の言葉を素直に受け取って、私が変化を恐れなければ、私は随分と生きやすくなるんだろう。



12/4/2024, 1:30:53 PM