名無しの夜

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 違和感に気付いたのは、当日からだ。

 スマホのアラームで目覚め。
 リビングに行けば、いつも通り妻がすでに朝食を用意してくれていた。

 バターが乗ったトースト、目玉焼きにハム、レタスとブロッコリー、それにコーンポタージュ。

 何の変哲もない、朝の食事のメニューだ。

 だが私は思わず眉根を寄せていた。

「どうかした? 食欲、ないの?」

 妻の声に、慌てて首を横に振った。

「い、いや。何でもないよ——いただきます」

 テーブルについて、トーストを齧った。


 妻は、料理上手だ。

 毎日の、代わり映えしないありきたりなメニューで『美味しい』を日々実感できるのは、大した腕ではないかと思う。

 味は、いつも通り美味しい。

 だがこのメニューは、昨日も同じではなかったか……?

 ある程度のローテーションとはいえ、前日と同じメニューの食事を出されたことはなかったように思う。

 ——記憶違いだろうか……?

 疑念にとらわれていたせいで、食事のペースが落ち、珍しく妻に「時間大丈夫なの?」と聞かれてしまった。


 その違和感は、昼時に弁当を広げて決定的なものになった。


 妻が持たせてくれた弁当の中身は、ノリ弁。

 おかずは、大葉で包んだ鶏の胸肉の竜田揚げ、辛味風味のひじき、ニンジンとピーマンの辛味噌炒め。

 美味しい。

 しかしやはりこれは、昨日の弁当と同じメニューだ。

「どーしました?」

 箸を手にしたまま固まっていると、隣のデスクでカレーパンを頬張っていた同僚に声をかけられた。

「い、いや……。同じ、メニューだなと……」

 チラッと私の弁当を見て、同僚は肩を竦めた。

「ぜーたくッスね」

 作っておいてもらって、の響きを感じて私も首を竦めた。

 そう言われると思ったから、濁したのだが。

 そういえば、同僚の彼のお昼はいつもカレーパンだ。

「飽きないかい、そのパン」

「カレーパンは完全食ッスからねぇ」

 答えになっていないような返答に、私は曖昧に頷く。

 ふと。斜め向かいの席の、別の同僚の食事が目に入った。

 彼女が口にしているのは、タマゴサンドイッチだ。

 眉間に皺を寄せたまま小さく齧っているのは、彼女のデスクに広げられた仕様書がややこしいものだからだろう。

 そういえば彼女がいつも食している物も、タマゴサンドイッチだった気がする。

 ……そんな、ものか。

 一日ぐらい、弁当の中身が同じであったところで大したことではないと気付いて、私は食事を再開した。


 一時間ほど残業して帰宅する。

 風呂を済ますと、すでに夕食は用意されていた。

「おつかれさま」

 缶ビールを分けっこしてグラスに注ぎ、乾杯する。

 豚しゃぶサラダに、ほうれん草と鮭のクリームパスタ、オクラの煮浸しのとろろ添え。

「ん、美味し」

 妻がニッコリ笑い、つられて笑むが——

 多少、ひきつる。


 ……こんなこと、あるか?

 夕飯まで、昨日と同じだ。


 何か悪い夢を見ているようで、私はただ黙って咀嚼を繰り返した。



 そう——悪い夢。

 目が覚めたら、この繰り返しが終わっているのではないかと。


 あれから、毎日のように。

 祈るように、思っている。


 目が覚めて、リビングに行けば——

 いつもと同じ、妻が作ってくれた朝食が並んでいる。

 もういつからかは覚えていない、ずっと変わらない朝食のメニュー。


 昼の弁当も同じ、ノリ弁。

 隣の席の同僚はカレーパンを頬張り、斜め前の同僚はタマゴサンドイッチを口にしている。

 そして夜も、やはり——


 一体、いつから。

 どうしてこうなってしまったのか、まるで見当がつかない。

 私は、いつの間にか。

 毎日同じメニューの食事を繰り返す世界軸に紛れ込んでしまったらしい。


 いつも通り。
 定時より一時間の残業で、急ぎも含めたすべてのタスクを終えて帰宅する道すがら。

 私はぼんやり夜空を見上げて、声もなく涙を流していた。



『——夫くん、あれからどう?』

 イヤホンから聞こえる友人の問いに、妻はほうれん草と鮭のクリームソースをパスタにかけながら、相手に見えるわけでもないのに首を横に振った。

「ぜ〜んぜんっ、ダメ! もう一ヶ月半も同じメニュー出しているのに、なーんにも言わないのよ。信じられない!」

『そこまでいくと、逆に凄いわね。本当に食事に興味ないヒトっているのねぇ……』

 落胆がこもった友人の声に、妻は同意の相槌を重ねた。

「何作っても美味しいと言ってくれるのが、最初は嬉しかったのよ。
 だけど毎度、何食べたいか聞いても何でもいい、だもん。
 それがこんなに寂しいことだとは思わなかったわ。

 ……でもいいの、もう諦めた。
 あの人に作る料理はこれだけと決めたら、楽になったし」

『せっかくの料理の腕が、もったいないわね——うちに来て、作ってもらいたいわ』

 友人のボヤキに、妻は手を打った。

「あら、いいわね。迷惑じゃなかったら作りに行くわよ!」

『えっ、本当に? 凄い助かるわ……!』


 電話口で妻は楽しそうに、バリキャリの友人のためのメニューを考えながらお喋りを続けるのだった。

6/23/2024, 7:10:47 AM