ふわふわ脳内

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高三の冬。
数ヶ月ぶりに同じクラスの佐藤くんが学校に来た。

グループディスカッションで話したことがあったような、なかったような…
そんな曖昧な距離感のまま、卒業を目前にして彼はふいに教室に姿を見せた。

「どうして今?」
「勉強、ついていけるのかな?」
「また行こうって思えた理由は?」

一限の授業中、私はずっとそんなことばかりを考えていた。
けれど、私は飽き性なので一限が終わるころには、もう別のことを考えているのである。

昼休み、食堂の窓から佐藤くんが校門を出るのが見えた。
私の通う学校は、工夫をすれば四限で帰れる仕組みがある。
とはいえ、高三の冬に四限で帰る人なんて、ほとんどいないのに…

「佐藤くんは……帰るんだ。」

私は、いつもの友達グループを抜け出した。
強固な絆(笑)でがんじがらめの居場所をすり抜けて、
午後の授業をすっぽかし、佐藤くんの後を追った。

「偶然だね!」

明らかに嘘だと分かる口調で話しかけた。
傍から見れば、完全に不審者である。
けれど、佐藤くんは驚きながらも、私の「一緒に帰ろう?」にすんなりと頷いた。

 

学校の正門を出て、歩道を並んで歩いた。
最初の交差点まで、会話はなかった。
焦る私は、いくつも話題を探しては飲み込んで、ついに意を決して声を出す。

「学校、久しぶりだよね、」

「うん。……なんか、行こっかなって。」
佐藤くんの横顔は、まっすぐだった。
明るくもなく、暗くもなく、ただ、まっすぐだった。

それだけの答えに、私はなぜか安心してしまった。
無視されてもおかしくない質問に答えてもらえて、嬉しくなった私は質問を続ける。

「なんで今日だったの?」

「特に理由はないんだけどね……朝、目が覚めて。空が明るかったんだ。あったかくてさ。それで、今日は、行ってもいいかな…って思った。」

そう言って、佐藤くんは少し笑った。

その笑顔は、何かを諦めているようで、でも何かを信じているようでもあった。
私の中にあった「こうすべき」「こうするものだ」という常識みたいなものが、そのやわらかな言葉によって、優しく否定された。
その頃にはもう佐藤くんのペースに呑まれていた。

とっくに帰るための分かれ道を過ぎていたことに気付かず、私はとうとう佐藤くんの家の前まで来てしまった。
それを咎めることなく、佐藤くんは「お茶でも飲んでいきなよ」と大人な対応を見せた。

「お邪魔します」

佐藤くんの家は、平屋の和風建築だった。
玄関の壁には季節の押し花と、小さい子が描いたであろう『おかあさん』の絵が飾られている。

「お兄ちゃん、おかえり!」
元気な声と共に飛び出してきたのは、佐藤くんの兄弟だろうか。歳の近い子から、小学校低学年位の子まで沢山いる。

「あら、クラスの子?よく来てくれたわね。いらっしゃい。」
後ろから現れたのは、柔らかい雰囲気のお母さんだった。
佐藤くんと同じ、控えめだけど穏やかな笑顔で、私の目を見て挨拶してくれた。

家の中は、どこか懐かしい匂いがした。
ちゃぶ台の上に置かれた湯呑みからは、ほうじ茶の香り。
わざわざ茶葉から淹れてくれたらしい。

佐藤くんが居なかった間の学校での出来事を話したり、苦手だという理科を教えてあげたり、
しばらくして、下の子たちと庭で遊んだりした。

やがて日が沈み始め、走り回る私たちの影を伸ばす。

子どもたちの「もっかい!」という声に応えて鬼ごっこをしていた私も、気づけば息を切らしていた。

ふと立ち止まり、家の縁側に座る佐藤くんの方を振り返ると、彼はぼんやりと空を見上げていた。
夕暮れの光が、佐藤くんの髪に触れて輝いている。

「どうしたの?」と声をかけようとしたがやめた。
私は彼がどうして「休む」のか理由を聞くのは野暮だと思い始めていたからだ。

まっすぐで、飾らなくて、静かで、
でもその奥には、ちゃんとあたたかさがある。
ちゃんと、自分のリズムで歩いている。

そんな佐藤くんは、私と正反対だった。

私は毎日、誰かの目を気にして、流れに乗ることに慣れてしまっていた。
決められた道を「正しい」ものとして進むことが、当たり前だと思っていた。

でも、今日の彼を見ていると、それがすべてじゃないと思えてしまった。
疲れたら立ち止まる。休憩する。
そして自分のタイミングで、また歩き出すことだって
それはそれで、ちゃんと意味のあることなんだと。

夕陽が、ちゃぶ台の湯呑みを赤く照らしている。
子どもたちの声も、母親の笑い声も、どこか遠くで響いていた。

私が今いるこの場所がまるごと「美しい」と思った。
それは庭の景色や、暖かい家族の空気ではなく
''佐藤くん''という人が、そこにいることそのものが、だった。
教えてくれてありがとう。

私と正反対で、美しい彼へ。

[美しい]

6/10/2025, 7:07:51 PM