鯖缶

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(この先が、最下層の最深部…。)
最も強い者だけが辿り着けるという、世界最古にして最も危険な場所。
一見ただの岩壁だが、向こうに確かな魔力を感じる。
俺は柄を握る手に力を入れる。旅の初めの頃、まったくの偶然から手に入れた強力な魔剣。
(お前とも長い付き合いになったな。でもこれでようやく終わるんだ。あと少し、頑張ろうな。)
俺は岩壁に向けて魔剣を振り下ろした。
(あれ?)
空振りしたかのように、何の手応えも感じられず、そして目の前にあったはずの岩壁はいつの間にか巨大な銀の狼の顔に変わっていた。
「え?」
ドスンと地面に座り込んだ衝撃で俺は我に帰った。
震えが止まらない。
『待ち侘びたぞ。』
頭の中に、女の声が響く。俺はそれが目の前の狼の声だということを知っていた。
『しかし、よくぞわたしを自由にしてくれた。わたしの尾から作り出した魔剣は、役に立ったであろう?』
「わた、しの、お?」
握っていたはずの魔剣はどこにも見当たらない。
『お前の質は、人間にしてはわたしと相性が良かった。わたしは体の一部を魔剣に変え、それを絆し《ほだし》としてここまでお前を導いたという訳だ。』
いくら繋ぎ易くとも牛馬では地下迷宮には入れなくてな、と狼は嗤う。
『さあ、わたしはそろそろ鈍っている体を存分に動かさなければならない。』
銀の狼の体が妖しく輝き出す。
俺は最初に座り込んだ状態からピクリとも動けずにいた。
(俺は何をしてしまったんだろう。)
『お前はよく働いた。』
銀の狼の鼻先が近づく。
『人間など食べるに値しないが』
白銀のような牙。燃えるような息が顔を炙る。
『その働きに報いて』
だが、なんて気高く
『我が身の糧としてやろう。』
うつくしい




やっぱり食べられたら可哀想か。
蛇足ですが続き。


「おい、起きろ。」
顔に何かが押し付けられている。
ぼやけた視界には白い何かが動き、それが顔をぐりぐりと押しているのがわかる。
「うぅ…?」
「お? 起きたか? まったくこのわたしに手間をかけさせるとは。」
銀細工のような繊細な髪、満月のような瞳、その光のように白い肌の…女神?
「う、」
理解した瞬間、俺はバネ人形のように上体を起こし、思うように動かない手足をバタバタとさせ後退りする。
「ヴゴゥッ!」
そして後頭部を激しく打ちつけのたうち回った。
「おい、なんだ…。」
全裸の、月の化身みたいな女性が冷え切った目でこちらを見る。
俺は地面にうずくまりながら混乱した頭で周囲を見回し、そこが地下迷宮の最深部、銀の狼が現れた場所であることをようやく思い出した。最後に見たのは灼熱の熔岩のような口の中。
「生きてる…?」
「おい、わたしを待たせるな。」
ドンと脇腹に軽い衝撃があり、そちらに顔を向けると女神に足蹴にされている。
「ほら。」
野良犬にエサでもやるように、目の前に剣が放られる。俺の、魔剣。いや、銀の狼の尾だ。
「気が変わった。焦土にするのは、お前と今の世界を見て回ってからにしよう。」
女神が妖しく嗤う。
こうして俺と銀の狼の、世界の存亡を左右する旅が幕を開けたのだった。

3/6/2023, 1:39:44 PM