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やさしくしないで

「折り入ってご相談が」
「何? 結婚生活? それとも人間の感情とやらについて?」
「その両方です」
「死ぬほど聞きたくないけど一応聞くから、見張りだけ気合い入れて頼む」
 コイツは俺たち二人の上司と結婚している。内容によっては上司に撃たれそうだし、そもそも何かものすごくしょうもないことだという予感がする。

「今朝出がけに、あまり優しくしないでほしいと言われたのですが、どう振る舞えば良いのでしょうか。そもそも優しさとは何かを全く理解できていないことに気付きました」
「理解しなくていいから、お前なりに大事にしてやんな」
 相手の嫌がることはせず、足りてないっぽいものを用意し、心の中の密かな望みを頑張って推測し、それを何とか叶える。それくらいの適当な感じでOK。うん、俺もこの当直があけたら甘いもん買って帰るわ。ウチの妻も今日は夜勤でな。お互い頑張ろう。
「適当な感じで」
「多分だけど、そうしてくれるからお前と一緒になったんだろ」
「ですが、それを嫌がっているという事実が」
「あの人の私生活は全く知らんけど、色々辛かった人が急に幸せになると不安になるってことはあるらしい。失くすのが怖いんだろうな。おおかた、前にロクでもない男に引っかかった記憶が…とかじゃねえの」
「…悪い男ならいました。いえ、います」
 聞いてはいけない感じの話が来た。頼むから真顔になるな。
「お前は知らんだろうけど、お前と結婚してホントにあの人落ち着いたのよ。だから『人間とは〜』とか考えずに、お前んちの普通にするのが一番だと思う」
「分かりました、ひとまずいつも通りにします」

 狙っていた容疑者は現れなかったが、帰りがけに常連らしきゴロツキが若い店員に絡み出した。色々と法律的に真っ黒なセリフが聞こえてくる。
 我が同僚はそのテーブルにスッと近づき、注意をひこうとして拳でテーブルを(コイツ基準で)軽く叩いた。ちなみにコイツは法律上は人間なのだが、「人間が造った存在」である。その気になれば素手で石壁をぶち抜ける。
 テーブルはブチ壊れ、震えるゴロツキは俺が引き取った。ヤツは必ず弁償しますと店主に必死に頭を下げている。
「責任を持って弁償させますので、どうかこちらへご連絡をお願いします。ついでになんですが、最近こんな男が来店したことは…」
 ゴロツキはその若くて細っこい男の店員にしつこく言い寄っていたらしい。上司だったら撃っていたかもしれない。店主にはむしろ感謝され、弁償の約束をきっちりして店を後にした。
「この馬鹿片付けたら終わりそうだな」
「今日はありがとうございました」
「ああ、とりあえずウチ帰ったらいつも通りにしとけや」

 再び出勤。上司(見た目は若くて細っこい)がやる気のない顔で始末書を書いている。書き慣れているからか、速い。訊くなら今である。
「プライバシーの侵害してもいいすか」
「質問によるね」
「旦那は優しいですか」
「…普通」
「どんな感じに」
「いつもの当直明けと同じ。ジャスミンの花束を買ってきてくれて、一緒にごはん食べて、一緒にお風呂に入った。あ、あとクッキーも作ってくれた。大きめのチョコチップクッキーで、三枚食べようとしたら叱られた。ちなみにこの質問の意図は?」
「突然正気に戻らないでください。円満な結婚生活の参考にと思って」
「君のところは順調?」
「まあ普通っす」少なくとも俺は幸せだ。
「私は何でこんなに優しくしてくれるのかなっていつも思いながら生きてるんだけど、もうこの子(※身長六フィート六インチ)は優しさだけでできてるから、それをとったら彼じゃなくなるなと思って、積極的に享受していくことにした」
「いっすね」
「ところで、折り入って相談があるんだけど」
「何すか」
「最高の配偶者を得たけど自分がクズで何も返せそうにない場合、君ならどうする? どうすればいいの?」
「クッキーを二枚までにすれば全部解決っすね。無理そうなら、向こうの要望をなるべく受け入れてください」
「いつも『そのままでいてください』って言うんだよ」
「じゃあもうそのままでいいんで、三枚食おうとして叱られててください」
「そうする。ありがとう」
 幸せそうだ。俺ももっと幸せになろうっと。

2/5/2025, 1:09:39 AM