徒然

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何処からともなく柚子の香りが漂う夕刻
駅前の古びた商店街は、全盛期にこそ劣るものの現代では珍しい程活気ついている。

今日は仕事でミスをしてしまった同僚のフォローに追われ昼終わりのシフトだったのがこの時間だ。辺りはすっかり陽が落ちている。まだ午後5時を過ぎた所だと言うのに街頭が無ければ真っ暗だろう。

都会から少し外れただけで、田舎と言うほど田舎でも無い、古き良きが残るこの町が私は気に入っていた。
駅を出て、商店街のアーケードを通りながら、今日はお惣菜でも買って夕食にしようと決めた。
定食屋から漂う良い匂いに釣られてしまいそうだが、今日は消費しなければならない作り置きがある。メインのおかずだけ買って、冷凍してある白米を温めて食べよう。流石に疲れたので、何もしたくない。

それにしても今日は随分と良い匂いがする。柑橘の香り…この香り知っているが、パッと頭に出てこない。なんだったか。
疲れたせいか頭が回らず、いつもならすぐ出てきそうなこの香りの正解を探しながら、行きつけの肉屋へ立ち寄った。
ここのコロッケが好きでよく買いにくる。今日はガッツリメンチカツも悪くない。さてどうするか。
目に入ったのは柚子入りコロッケ。あ。と頭の中で繋がった。

「それは今日だけの特別商品柚子コロッケだよ。サッパリして美味いから1つどうだい?」

奥から出てきた店の息子が私に言った。時期店長の跡取り息子だ。私が通うからよくおまけをつけてくれる有り難い存在。

「今日だけ?」
「そう。今日だけ。ほら、今日は冬至だろ?だからってんで、母さんに言われて。あとカボチャコロッケもおすすめ、今日は冬至だからってみんな食べるんだ。残り2つ、それで最後だからどっちも買ってかないか?」

そうか。今日は冬至だった。すっかり忘れていた。
町に漂うこの香りは、柚子の香りなんだ。
商店街の上の階は住宅の家が多い。何処もこの時間柚子風呂に入っている。思えば商店街で黄色い物を沢山見かけた気がすした。あれも柚子だったんだ。

「じゃあ、かぼちゃコロッケ2つと柚子コロッケ1つ」
「あいよ。少々お待ちを」

息子は紙袋にコロッケを詰め、お金を受け取ると裏に引っ込み再び出てきた。手にはビニール袋を下げている。

「はい。じゃあこれコロッケと、柚子のお裾分け。あとこれはオマケ。揚げたてコロッケ。火傷しないように」
「わっ、沢山……。ありがとう」
「まいど、気を付けて帰るんだぞ〜」

手から伝わる熱々のコロッケの熱が優しさをじんわりと広げていく様に。噛み締めながら頬張った。

「あっつ」

ザクザクの衣と中のホクホクしたジャガイモの食感を楽しみながら、家路につく。
この歳になって食べ歩きながらの帰宅。青春時代に戻ったようだ。
そして、それを違和感なく出来るこの商店街の雰囲気が好き。町では誰かが食べ歩きをし、店先では井戸端会議が開かれ、ベンチで帰宅前の腹ごしらえをする学生が居る日常。

それを微笑ましく眺めながら、商店街を抜けて路地を曲がった所にある小さなアパートに帰ってきた。

買ってきた物を台所に置き、湯船を溜める。
夕食の支度をし、作り置きのおかずとコロッケを堪能してから、風呂へといった。

湯船に入るのは久しぶりだ。いつもシャワーで済ませてしまうから。
年末前にと早めに行った風呂掃除がこんなタイミングで役立つとは思っていなかったが、溜まった湯船にお裾分けの柚子を浮かべた。
先に身体を洗う。温まった柚子が次第に香りを放ち、風呂場は柚子の良い匂いで充満した。

ゆっくりと足から入浴し、肩まで浸かるとじんわり身体が温まっていく。オマケのコロッケを食べていた時と同じだ。
優しさに包まれて身体に染み渡る感覚。久しぶりにゆっくりと入浴した。

今日は特別だ。残業して頑張った自分へのご褒美。
同僚のミスだって、みんなでカバーしたからどうにか出来たんだ。それで良かった。私もそれに文句は無いし、みんなも文句は言ってない。誰かに優しく出来た。誰かに優して貰えた。今日はその優しさを噛み締める日。そんな事を思いながら、柚子の香りを全身に纏う。

こんな日もたまには悪くない。

#柚子の香り

12/23/2023, 5:38:42 AM