私の中に2人の自分がいると思う。
今日はよく頑張った。頑張ったから今日はもういいか。
と思う自分と、もう少し頑張れるのでは?こんなんじゃ全然ダメ。
と思う自分。頑張るのを実際やめてしまうのだから、おそらく無意識では前者のような考えになっていると思われるが、この無意識を通り過ぎて自分に厳しい自分が主張する。これらはどちらも私だが、この2人の自分のバランスがとれないと心に不調をきたす。自分に厳しい自分が暴れ出して、私の心をめったうちにするのだ。実際の行動に反映されればいいが、この厳しい自分の言う事を、体はきかない。心だけがダメージを受けつづける。こんな思考はもう無意味どころか逆効果だと、3人目の自分は俯瞰する。心ではなく、体が先に動けばいいのになぁと思う。心が先にあるから心で評価する。考えるより先に体が動けば、体が満足感を得られる。あるいは考えた通りに動ければ、心のままに動ければきっと後悔も少ない。あーやらなきゃな、と散々思考した後に、実行する。やっと実行したら、あーやらなきゃなと思っていた自分を責める自分が出てくる。この2人は同一人物だ。あーやらなきゃなと思ったらもうそれは自己否定で、その時点で自分を攻撃している。今ここに意識がない。文章作ってるとスッキリするな、新たな発見がある。このように、今を楽しむ思考、今やっている事を肯定する思考こそ、自己肯定感なのだ。自分に厳しい自分は客観的に自分を見ている"あなた"として切り分けられるべきであり、今肉体がやっている事と気分が一致している状態こそ、"私"なのである。
11/7/2024, 11:57:30 AM