早朝の湖。
湖面には山の影が揺れている。
湖の中央にボートが一艘。
ボートには釣り人が一人。
静かだった。
穏やかで風も音もない。
釣り人は糸を垂らしたまま、
ただ水面を見つめていた。
ふと、気配を感じて
釣り人は空を見上げた。
その音ははじめ、小さかった。
ばさり、ばさり。
釣り人は気付く。これは羽の音。
優雅な羽音と共に、どこからともなく
鳥たちが現れた。
不思議な鳥たちだった。
朝の光を受けて、羽は青にも灰色にも見えた。
彼らは一声も発さず、
美しい隊列を乱すことなく
湖の上空を目指してやってくる。
釣り人は目を細めた。
何という鳥だろう……見たことがない。
渡り鳥にしては、季節外れだ。
隊列飛行を保ったまま、鳥たちは
ゆるやかな弧を描くように滑空し
湖の中心へと進む。
静かな湖面が、空と鳥達を
鏡のように映していた。
上も下も青く澄んでいる。
現実とは思えないほど美しい。
釣り人の頭上で鳥たちは、大きな羽を
さらに大きくふわりと広げた。
鳥は、キラキラと輝いてそのまま消えた。
あっ……思わず釣り人は声を出す。
釣竿を、湖の中に落とすところだった。
鳥たちは、キラキラと眩い光を放って、
姿を消していった。
まるで、薄い空気の膜に
吸い込まれていくみたいだ
鳥たちは次々と、輝いては消えていく。
……最後の一羽が消えた時
釣り人はまだ、呆然としていた。
幻だったのだろうか?
だけど、あの羽音は耳に残っている。
夢だったんだろうか?
いや、あれは奇跡だ。神の奇跡。
奇跡でなければ、あんな美しい光景があるだろうか?
釣り人の頬を、涙が伝った。
確かに見た、この目で。
鳥たちが、この世界ではない別の世界へ
渡っていくのを。
奇跡の瞬間に、立ち会ったんだ。
何ということだ。
こんな事が起こるなんて。
人生で一番、美しい瞬間だった。
ーー数百年後。
空から、鳥達が消えていた。
「特別報告〜鳥達の不在について」
2050年以降、都市部において発生していた鳥類の減少は、山間部においても同様に減少が進んでいたと思われる。
現在、観測可能な鳥類は、世界全体で18種類のみ。
全て厳重な保護観察下にある。
考えられる鳥類の現象理由は、いくつか考えられる。
都市化、温暖化による急速な生息地の消失、長距離電波と各国の監視ドローンの空域干渉など。一部の国家間では、戦略的通信領域として上空の優先権を争い、国際法で認められていない小型無人機の飛行、またはその衝突が度々確認されている。
鳥類の急速な現象は、これら様々な要因が複合的に重なった背景があると考えられる。
現状として、多くの鳥類は絶滅種、もしくは絶滅危惧種として登録されている。
なお、絶滅、という表現に関して、異議を唱える研究者もいる。
彼らによると、絶滅というのは適切な表現ではなく、消息不明という表記が実状に近いということだ。
彼らの主張は、鳥類は自らの意志で地球で生息することを諦め、より住みやすい別の時空へ渡った、というものである。
この説に関しての、科学的説明は未だなされていない。
勿論、公式な学説として認められてはいない。
しかし世界各国で鳥類の「異様な消失」に関する報告(例:一瞬で群れが消えた、飛翔中に突然見えなくなった、その他多数)が少なくないことは、決して看過できない。
また、この説を主張する研究者の一人は、次のように述べている。
地球上の全ての空から鳥達が消えた。
年々、あらゆる種類が消えていく。
大抵の鳥達は、飛行中に、渡りの途中で姿を消していった。
そして、その全てが一瞬のうちに消失していったのだという。まるで空気中に溶けてしまうように。
彼らはどこに行ったのか?
答えは誰にも分からない。
しかし、鳥たちが突然消え去るという現象は、別時空への渡り、とは考えられないだろうか。
彼らは人類との共存を回避したうえで、より良い環境を求め別時空へと旅立った。これが私の立てた仮説である。
もしそうであれば、いつか、彼らはまたこの地球に帰ってくるのではないか。
鳥達が、この空に回帰する可能性は残されているのではないか。
それまでに私達が出来ることは何なのかを、考えなければならない。鳥達が再び、この空で生きようと思える空にする為に、私達が出来ることを。
5/29/2025, 11:46:35 PM