悪役令嬢

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『曇り』

「セバスチャン。私、お出かけしてきますわ」
「あの、どちらへ?」
「ズバリ、スタンプラリーですわ!」

悪役令嬢は小さなカードを誇らしげに掲げ、
執事はそれを手に取る。

「お天気スタンプラリー?」

お天気スタンプラリーとは──
特定のエリアを巡り、
スタンプを集めるイベントだ。

霧の深い日に現れる幻の街や、
嵐の日に出没する魔物など、その日の
天候によって、出会えるものも異なる。

「本日の天気は曇り。
"クラウディ"が現れる日ですわ」

窓の外を見れば、灰色の雲が天蓋のように
空を覆い尽くしている。

執事は主の突飛な行動を案じ、
同行することに決めた。



たどり着いた先は、〇‪✕‬団地。

くすんだ青い霞に包まれた退廃的な町は、
かつて人の営みがあったはずだが、
今はその気配すら感じられない。

「主、何かいます」

執事が指さした先、屋上に蜃気楼のような
人影が揺れ、次の瞬間、宙へ落ちた。

驚いて地面を見るが、そこには何もない。
屋上に視線を戻すと、再び影が立ち、また
落ちる。それをひたすら繰り返していた。

「きっとあれが"クラウディ"ですわ」

二人は屋上へ続く階段を発見し、
赤茶色に錆びた踏板を慎重に上り始めた。

「かなり老朽化してます。お気をつけを」

ようやく屋上に辿り着くと、
そこには半透明の人間が佇んでおり、
今まさに手すりを越えようとしていた。

「お待ちなさい!」

悪役令嬢の声に、影はかすかに振り返るが、
すぐに曇天の空を見上げる。

『放っておいて』

その心は、曇り空と同じように、
重く沈んでいた。

(落ち込んでいる方を元気づけるには、
どうすればよいのかしら?)

考えた末、悪役令嬢は一つのアイデアを閃き、
ドレスの下からスピーカーを取り出して、
お気に入りの曲を流し始めた。

♪真っ逆さまに~堕ちてDESIRE
♪騒がしい日々に笑えない君に

「選曲のセンスが壊滅的ですね」

呆れた顔で首を横に振る執事に、
むっと口を尖らせる悪役令嬢。

「ではあなたならどうするのですか?」
「話を聞くことぐらいでしょうか」

そう言うや否や、執事はティーセットを
取り出し、クラウディに語りかけた。

「なぜ死にたいのですか?」
『わからない。ただ、なんとなく』
「......お茶でもしませんか」

ラグを敷き、重たく垂れこめた空の下、
お茶会が始まった。

本日のお茶はカモミールティーに、
デザートはスフォリアテッラ。

クラウディは、カップを手にしたまま、
ぽつりぽつりと語り始めた。

『毎朝7時に出勤、朝礼で社訓の復唱、
定時では帰れない。なのに、残業代は出ない』

二人は何も言わず、ただ静かに
クラウディの話に耳を傾けていた。

そして──

『なんか話したらスッキリしたかも』

クラウディはスタンプを取り出し、
ポンッ!雲のマークがカードに押された。

『それじゃあ、ありがと...』

ゆっくりと霧散しながら、
クラウディは灰色の空へ溶けていった。

厚い雲の間からお日様が顔を覗かせ、
黄金の光が団地に降り注ぐ。

「......晴れましたわね」

スタンプカードを手にした悪役令嬢が、
そう小さく呟いた。

3/24/2025, 4:45:21 AM