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嘘なんてもうつかない、と決めさせられた直後だったから、実を言うと非常に困っていた。私と別れたいんでしょ、とこちらを睨みつける女子大生に、否定もできないし肯定なんかもちろんできない。だって刺されるもん。何その刃渡り。見たことないくらい長い、かろうじて包丁の形をしている鋼鉄は俺の大事なヘソをロックオンしている。いやヘソ刺されたら死ぬって。ヘソって赤ちゃんのときにママとくっついてた内臓なんだけど。内臓刺されたらそら死ぬでしょ。
 まずは包丁置こ、と笑いかけるもどうやら聞こえていないみたいで、もうこれは本格的に困った。嘘つくしかない? いやいやそれは、無理。だって祟られるもん。刺されるより祟られる方が怖、いや、実を言うと逃げたい。本当に幽霊として居るなら逃がしてくれ。お前だって俺がヘソ刺されて死んだら辛くて悲しくてか弱い女子大生の枕元に立つわけにもいかないから地縛霊になっちゃうでしょ。ね。逃がしてくれたら何でもするからお願い!
 「何とか言ってよ!」
 え? 今なんて言った?
 現実逃避しすぎて聴覚がどこかへいってしまっていた。なーんて言っても通じるはずはなく、鋭利な鋼鉄は俺の綺麗な顔目掛けて振り下ろされていた。
 頼む頼む頼む頼む何でもするから助けて!!
 パアン、と、破裂音がした。
 手のひらに食い込む痛みに、おそるおそる目を開くと、妙に長い包丁の切先は俺の鼻に届く一センチ手前で静止していた。正確には渾身の祈りが幽霊に届き、白刃どりに成功していた。神様って本当にいたんだ。そう思った瞬間、腕からふっと力が抜けた。包丁はカランと床に落ち……はせず、俺のヘソに向かって再突入。あかん死んだわ。鍛えてたつもりだったけど、俺の腹って結構柔らかかったんだ。俺の筋肉や皮膚はさっくりと切断され、痛みなんて感じる時間もないまま、俺は俺に取り憑いた幽霊を見た。
 あーやっぱり。喧嘩別れして以来お久しぶり。生前ボロクソ言ってたわりには俺のことまだ好きだったのね。何年くっついてきたっけ? まあいいか、それなら俺も白状するけど、君がこの前交差点でバイバイして以来、嘘はついてないよ。すまんね罪な男で。でも、もう嘘はつかないって決めたのは本当。嘘つかれたくなかったら嘘つかないしかないもんね。そんじゃしばらくさよなら〜。
 ってしたいけど、4/1のアレは嘘じゃないんでしょ? 虚構の日に本当のこと言うなんて信頼なくすって! じゃあまた改めて、よろしく。

「エイプリルフール(2024/04/02)」

4/2/2024, 5:58:42 AM