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ガヤガヤと賑やかな居酒屋で、スーツ姿の男二人が夕餉をとっている。

二人席のテーブルに座っているのは、若い男だ。
ジョッキのビールを片手に、枝豆をつまんでいる。
若い男の対面に座る大柄の男は、強面の顔で味噌汁の椀を持っている。
眉間に皺を寄せ、強面に拍車掛けている男の視線は、手元の味噌汁に注がれている。

味噌汁の具は、至って普通のアサリだ。
出汁の効いたいい香りがしており、男が渋面になる要素は見受けられない。

いつまでも口をつけないでいる男に、若い男が声をかけた。

「何すか、兄貴。ここのアサリの味噌汁は〆に最高だ!とか、いつも絶賛しているのに」
体の調子でも悪いんで?

若い男が怪訝そうな顔をして、大柄な男の顔を覗き込む。
話しかけられた男は、深い溜め息をついた。

「貝を見ていたら、つい最近の失敗しちまったことを思い出してな」

「へぇー、兄貴が失敗。こりゃ珍しい。明日は雨かな」

若い男の軽口にも男は暗い顔をして乗ってこない。

「…で、どうしたんです?」

男は、味噌汁の中に浮かぶ貝をじっと見つめている。
その瞳は真剣で、怖い顔がますます怖くなっている。
「顔怖えですよ」とチャチャを入れたくなるが、やめておく。
この男がこういう顔をしている時にそんなことをしたら、命がなくなる。
命が惜しけりゃ、大人しくするが正解だ。
口を開くまで待つしかない。
居酒屋の壁にあるメニューの紙を意味もなく見て、時間を潰すことにした。
店内を取り囲む手書きのメニューを2周しても、男は口を開かない。
タバコでも吸おうかと懐に手を伸ばすと、味噌汁を見つめていた男と目があった。
懐に伸ばした手を引っ込めて、男の言葉を待つ。
男の瞳が左右に揺れている。
余程の覚悟がいるものなのだろう。
黙って成り行きを見守っていると、男は味噌汁をテーブルに置き、重たい口を開いた。

「おめえ、大切な奴を守るために悪人になったことはあるか?」

男の真剣な声に、若い男は首を傾げ斜め上の天井を見つめる。
記憶を攫ってみるが、思い当たるものは見つからない。

「無いっすね。てめえの身が何より大切なんで。…なるほど。兄貴は、“なった“んですね」
コレですか。
そう言いながら、若い男は小指をピコピコとさせた。

「違ぇよ!…ただ、良いなって思った、だけで…」

男の声は後半に行くに連れ勢いを失っていき、男たちの間に沈黙が生まれた。

「見苦しいっすよ、兄貴」

「…うるせぇ」

若い男のツッコミに、男は地を這うような声を出した。

「大切な人のために悪人になった兄貴は、今更何を後悔してるんです?」
あんたの事だから覚悟済みだろうに──そう続けようと思ったが、声には出さないでおいた。
命はやっぱり惜しい。

「俺、馬鹿だからよ。守りてぇのに、守りてぇ奴を傷つけちまった」

「…と、いうと?」

「あのな、話しかけられれば心は躍るくせに、綺麗な目で見られちまうと、自分が汚れているように感じてしょうがねえんだ」

赤子や心のきれいな人間が持つ、真っ直ぐな眼差しに耐えられない大人はいる。この男もそうなのだろう。他人事のように言っているが、自分もその口だ。
なるほど、と思いつつ男の話に耳を傾ける。

「綺麗なもんとかよ、こいつは自分にとって大切だなって思うもんに出会うと、自分なんかが側にいちゃいけねぇって思っちまうんだ。なんか、汚しちまいそうでよ。だから、俺といると危ねえぞ。汚れちまうぞって、脅しちまった」

男はそういうと呻き声をあげて机に突っ伏した。
十中八九、その時のことでも思い出しているのだろう。マンガのような黒い縦線が男の背後に見える。
見事な撃沈っぷりだ。
思わず笑いが漏れてしまった。

「アハハ、自ら嫌われる貧乏くじを引きに行ったわけですね」

「うるっせぇ、その通りだよ馬鹿野郎!どうせ俺は貧乏くじ引く馬鹿野郎だ、くそったれ」

男はヤケクソのように叫ぶと髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
自棄のやん八だ。
若い男は薄ら笑いを浮かべると、ビールを一口飲んだ。
口の中に広がる苦みに、苦笑が広がる。

「そう言いつつも、嫌われる理由を自ら作って安全圏も作ってるんでしょ」

若い男の言葉に、男は地獄の底のような声をあげた。

「おめえ、本当嫌な奴だな」

「こんな事を相手に言ってしまったんだから、嫌われてもしょうがない。そういう網を張っておくことで、いざ関係が崩れたとしても、仕方なかったんだと受け入れられる。…弱虫っすね」

「ほざいてろ。マジで大切なもんを前にするとな、人は弱くなんだよ」

恐怖の大魔王もかくやな声だが、若い男は柳に風だ。

「それで、兄貴の貧乏くじの話と貝がどう繋がるんで?」

「…貝ってのは、硬え装甲のような殻を持ってるのによ。それを好んで食う奴がいるじゃねえか。分厚い殻に穴開けて食う奴とかよ、こうして煮込んじまう奴とかよ」

男は味噌汁の中に浮かんでいた貝を箸で摘むと、味噌汁椀の蓋にカランと投げ入れた。
味噌汁の中で落ちたのだろうか、投げ入れられた貝にアサリの身はついていなかった。

「守ろう守ろうと防御しても、やられちまう。こういう奴らから守るには、どうすりゃいいんだ」

男の沈痛な言葉に、若い男は溜め息をそっとつくと、静かな声で男を呼んだ。

「兄貴」

「何だ?」

「守ろうとしなくて良いんですよ」

「は?」

「お相手にはお相手の考えがある。互いに敬意を持ってりゃあ、後は何とかなるんですよ」

若い男の言葉に、男は目を見開き固まった。

相手を守ろうとすることは、必ずしも正解ではない。
相手を思って空回りするくらいなら、素直でいた方が良いこともある。
わざわざ悪役を演じる必要は、ないのだ。

「それで、お相手との関係はいかがなもので?」

若い男の言葉に男はまたもテーブルに突っ伏すと、首を横に振った。

「…兄貴。泣かないでください。ここ、奢りますから」

「うるっせぇ!泣いてなんかねぇや」

喚く男のそばには味噌汁椀の蓋がある。
蓋の中では、貝殻が口を開けて笑っていた。

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貝殻

後日。

「鼻歌なんて歌って随分ご機嫌ですね、兄貴」

「おめえの言う通りによ、あの後、素直な気持ちってのを相手に晒したら良いことがあってよ」

「そりゃ結構なことだ。もう、空回りしちゃ駄目っすよ」

「わかってらぁ。大切なのは、相手への敬意と素直な気持ちだろ?」

「その通りっす」

9/5/2024, 2:22:41 PM