クラスの子に、水を掛けられた。教室で。
周囲は突然のことに驚いていたが、
助けようとする人はいない。
こういった行為ー客観的に嫌がらせ、いじめだと
言われるものが僕の身に起き始めたのはごく最近。
初めこそ憤慨し、同情する者が居たが、
今はもう居なくなった。
人同士の繋がりなんて所詮この程度なことは
わかっているから、失望の気は抱かなかった。
まあ冬じゃないし別にいいか、なんて呑気に構えて
そのままでいた僕に、君はハンカチを差し出した。
「そのままで居ないでくれ。周りの迷惑だ」
クラスの委員長様は優しいんだね、なんて言えば
ムッとした顔で立ち去ってしまった。
ありがたく使わせてもらった群青のハンカチを
ふと見ると、端に濃い赤茶の斑点がついている。
何だこれ、と思っていたが、思い当たるものがあった。
僕の鼻血だ。
随分と前の、ある曇りの日だった。
階段から転げ落ちた僕に手を差し延べてくれたのも彼だったか。
恐らくそのときにもハンカチを借りたんだろう。
落ちなかったのだろうか、今更ながら申し訳ない。
放課後になるなり僕は近くの雑貨店に寄って
真っ白のハンカチを買った。
再び学校に戻る頃には日も沈みかけ、
殆どの生徒が家路に着いていた。
果たして、彼はまだ教室にいた。
きっと委員長の仕事で居残りをしていたんだろう。
音もなく現れた僕にハッとした顔をし、
気まずそうに頭を掻く彼。
「…なんだよ、早く帰ってくれ
それに、再登校は認められてないぞ」
これを渡したくて。
「え?あ、ハンカチ…
?この白いの、こっちは僕のじゃない」
貸してくれたハンカチ、前にも借りたことがある。
そのときは鼻血だったよね、その端っこにあるのは
落ちなかった鼻血の跡じゃない?
「…そんなことよく覚えてるな」
そう?勘だしね。
申し訳なくて、弁償。
「いいよ、これ捨てるつもりだったから」
ふーん、委員長も嘘つくことあるんだね。
ニタ、と笑いかければ彼の顔が
心なしか赤くなった気がした。
「…嘘なんか」
ま、別にいいけど。
とにかくこれ受け取ってよ。僕も要らないし。
「え、ちょっと…!」
ーそして、何気なく切り出す。
あともう一つ。
いちいち他人に言って、大変でしょ?
直接言えば、好きなだけさせてあげるから
今度からそうしてね。
それじゃ。
呆然とする彼に背を向け、颯爽と教室を後にする。
全く、彼のあの演技といったら笑いを堪えるのが大変だった。
ずっと前から知っていた。
僕に手を下すよう、影で手回しする姿を。
今日の朝も、ずっと前、曇りの日も、
君が仕組んだ事だと、とうの前から知っていたよ。
なんて、なんて愛おしい。
それほどまでに僕が欲しいのか。
思わずこぼれていた鼻歌は、
何者かが掴んだ手の感触にふつりと途切れる。
僕を掴む手が生える体の主を見れば、
それはまさしく委員長だった。
ああ、素直な君の方が何倍も良い。
3/30/2024, 1:47:05 PM