白糸馨月

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お題『忘れられない、いつまでも』

 私の目の前で女が土下座をしている。待ち望んでいたはずの光景なのに、私は自分が驚くほどなんの感情がわかないことに気がついた。
 私は、中学生の頃、今土下座をしている女に目をつけられいじめられていた。多分、その女よりも成績がいいからだったというそれだけの理由。
 事あるごとに教科書やノートを捨てられたり、体操着を隠されたり、嘘の噂を流されたり、みんなの前で私の声真似をしたり。そんな不愉快なことが続いて、不登校になるのは悔しいからその女と同じクラスでいる間は耐えた。
 それでも、何年かは、中学や高校、大学生になった今でも時々彼女の顔が出てきてはやり場のない怒りにさらされていた。
 その女が今、土下座をしている。それはなぜか。

 たまたま同じ地元のスーパーのバイトが一緒になった。なにもしてこなければ、挨拶もせず、初対面のふりをしてやり過ごそうと思っていた。本当は、ひどいことをしてやりたかったけど。
 だが、あの女は中学の時と同じように私についての悪い噂を流そうとした。だから、私は反撃したのだ。
 なにをしたかというと、同じバイト先の人に『あいつにいじめられていた』という事実を触れ回ったのだ。
 私は自分で言うのもなんだがバイト先からの信頼を得ている。仕事も出来ると思われている。だから、後から入ったいじめっこが孤立するのは時間の問題だった。

 ある時、私がその女とたまたま二人きりになった時、「いじめだと思ってたの? ごめんね」と言った後、猫なで声で「だからぁー、あたしの噂取り消してくれないかなぁ?」と言いやがったのだ。
 だから、私は出来るだけ冷たい声で言った。

「いいけど条件がある」

 いじめっこの額に血管が浮き出たのが見えた。私はそれに屈さず続ける。

「地元の公園でさ、土下座してよ」

 向こうは最初キレていたが、「それやらないと噂取り消さない」と言ったら、帰り道、地元の公園でしぶしぶ土下座していた。
 いつかやらせようと思っていた。だが、実際目の当たりにすると本当に何の楽しさも湧かないことに気がついた。
 その女は顔を上げる。

「ねぇ、やってやったんだから気が済んだでしょ!」
「なるほど、反省してないんだね」
「するわけないじゃん! ってか、いじめって騒ぎ立てんじゃねーよ、あんな大した事ないこと!」
「あっそう。なら、取り消さない」
「くそっ。あんたのくせに!」

 私はしゃがんでじっとそいつの顔を見つめる。私の時はうわばき履いた足で頭を踏みつけられたっけなぁと懐かしむ。だが、私はそんな低レベルのことはしない。ただひたすら見つめるだけ。

「気持ち悪いんだよ、なんだよお前」

 って言われても私はずっとその女の反省しない顔を見つめ続けた。いつまでも忘れられずにいたことが、ここにきて仕返し出来たのに、驚くほど楽しくもなく、ざまぁ展開が訪れた時の汚い爽快感もなく、ただ

(やっぱり、一生許さないし、ずっと忘れてやらない)

 と心に誓っただけだった。

 

5/10/2024, 4:02:54 AM