江戸に助座衛門という者がいた。
彼は下級武士の出身で、いつもひもじい思いをしていた。
低い身分である彼は、食べ物を買うお金があまり無かったのである。
しかし下級とはいえ武士は武士。
まじめな性格の彼は、『武士の家系に生まれたからには、立派な武士となろう』と決意する。
そして人々の模範となるべく、家計の許す限り様々な芸事を精を出し、礼節を身に着けていった。
功を奏して、彼は江戸中で知らぬ者のない武士となる
人々は彼を『あれこそ真の武士である』と褒めたたえた。
何でも出来る彼であったが、どうしても出来ないことが一つあった。
やせ我慢である。
武士は食わねど高楊枝。
『誇り高き武士はどんなに食べるものが無くとも、腹いっぱい食べたかのように楊枝を使って見栄を張らねばならない』
有名なのことわざだが、彼はこの見栄――つまり『何でもないフリ』が出来ないのである
しかも彼は人一倍食いしん坊であった。
普段は温厚な彼も、お腹がすくと途端に不機嫌になる。
不幸なことに彼は下級武士、満足するほど食べることは出来ない
周囲の人々からの差し入れによって、なんとか食いつないでいたが、日に日に食べる量は増えるばかり。
遠くない未来に限界が訪れようとしていた……
そんなある日の事。
助左衛門の隣に、自称仙人の初老の男性が引っ越してきた。
始めは気にも留めなかった助左衛門だったが、ある噂を耳にする。
『誰もあの爺さんの食事をしている所を見たことがない。
もしや、本当に霞を食っていけると噂の仙人ではないのか?』
にわかには信じられない、信憑性の薄い噂である。
だが助左衛門は無視できなかった。
もし引っ越してきた男性が本当に仙人ならば、自分の食糧問題が解決するかもしれないからだ
そう思った彼は、気づいた時には仙人のもとを訪れていた。
「不躾な願いであることは重々承知でお聞きしたいことがある。
わたしめにカスミを食べる奥義を伝授願いたい」
助左衛門の突然の来訪に驚く仙人。
しかしすぐに落ち着きを取り戻し、助左衛門を諭すように話す。
「頭を上げてくだされ、助左衛門様。
貴方の評判は、新参者の儂も聞き及んでおります。
そんなあなたが儂に頭を下げるとはただ事ではないのでしょう。
力になりたいが、残念ながら他人に教えられないからこそ、奥義なのです。
心苦しいですが……」
「そこをなんとか!」
「ううむ、どうしたものか……」
仙人は腕を組んで悩みます。
「仕方がありません。
あなたほどの方がそこまで言うなら、儂も奥義の秘密を明かしましょう」
「かたじけない」
「その代わり、奥義の件については内密に」
「分かっております」
「では少々お待ちください」
そう言うと、仙人は床板をベリベリと引きはがし始めた。
何が始まるのかと眺めていた助左衛門。
そして助左衛門は、仙人が床下から取り出したものを見て目を見開く。
「キノコですじゃ。
床下はいい具合に湿って、キノコの栽培に適しておる。
苗床を分けるから、これを育てて食べるとよい。
大家に気づかれぬよう、何でもないフリをお願いしますぞ」
12/12/2024, 1:47:06 PM