たまにはお酒を飲むのも悪くない。
あれはいつのことだったか、地元の仲間で飲んでいたときのこと。いつものノリでバカやって笑い合って交わす酒はうまい。
そう思って、その日も楽しくワイワイ飲んでいたときだった。唐突にあいつが言った。
「俺、実は先月、子どもが死んだんだ」
その言葉に、いきなり頬をぶん殴られた衝撃を受けた。みんなの顔がみるみる真剣になっていく。そんな中、あいつは続けた。
「生まれた時からそう長くはないってわかってたんだ、でもなかなか受け入れられなくてさ、お前らにもほんとのことが言えなかったんだ。俺、ここでお前らとふざけたり笑い転げたりするの好きだったからさ。あーーー、でも結局こんな感じになっちゃうよな、ごめんごめん」
そう言って、あいつは悲しそうに笑った。誰も言葉が出ない。
あいつに子どもができたと知った時、生まれた時、育児が大変だけど幸せだと惚気てきた時、俺たちはいつもこうして楽しく笑いながら飲んでいた。
盛大にお祝いもした。子どもの話もたくさん聞いた。なのに、全然わからなかった。気づけなかった。
あいつの苦しみをわかってやれていなかったこと、一緒に悲しんであげられなかったこと、子どものために何もしてやれなかったこと…さまざまな気持ちが自分の中で渋滞を起こして思考を停止させる。
「そんな顔するなよ」
そんな言葉が口から溢れた。無意識だった。頭の中は混乱し、真っ白なのに、口を突いて出たのがその言葉にだった。
「だからごめんって」
あいつが悲しそうに笑う。
「頼むから!…頼むから、そんな顔して笑わないでくれよ!俺たちの中だろ?今からでも遅くない。泣けよ。そんで、俺たちにも一緒に悲しませてくれよ!」
「お前らに言って何になるんだよ!あの子はもう帰って来ないんだ!俺の気持ちなんてわかるわけないだろ!一緒に悲しむ?できるわけがないだろ!俺がどんな想いで…」
その先は嗚咽と涙で続かなかった。気がつけばみんな泣いていた。
「確かに同じ気持ちにはなれないかもしれない。だけど一緒に悲しむくらいはさせてくれよ!せめて泣かせてくれよ!お前の、大事な仲間の、愛する息子は確かにいたんだと、そして短かったかもしれないけど、一生懸命生きたんだってことを、一緒に喜んで、一緒に褒めて、一緒に泣かせてくれよ!」
「そうだぞ!俺たちにとっても息子同然だったんだ!」
「そんな悲しいこと言うなよ!俺たちの中だろ?なんだって言ってくれよ!」
「苦しみでもいい、怒りでもいい、俺らにぶつけてくれよ!」
みんな口々に言い出した。あいつは嗚咽を漏らしながら泣いていた。
「みんなもこう言ってるんだ、全部吐き出しちまえよ、」
「俺、俺は…」
あいつは言葉に詰まりながらも必死に訴えかけてくる。
「お前らのことも大事に思ってるんだ、みんなが息子を大事に思ってくれてるのもわかってる。だけど…だからこそ言えなかったんだ…苦しかった、辛かった。でもあいつの方がもっと辛くて苦しいんだ。そう思ったら、お前らにも言えなくて…」
「そうだよな、言いづらいよな、」うんうんと真剣な表情でみんなが聴いている。目にはいっぱいの涙を溜めて。
「生まれてすぐ、あいつは声を上げなかった。きゅうに周りの先生たちが慌ただしく動き回って…俺、何が起こったのかわからなかったんだ。でも小さな体にどんどんチューブが、つながれていって…そしたら看護師から外で待つよう言われたんだ。嫁さんは出産を終えてすぐで、朦朧としながら、私の子は?って聞いてた。だけど大丈夫ですよとしか言われなくて、何が起こっていたのか本当にわからなかったんだ。」
ポツリポツリとあいつは話す。
「それで?」先を促す。
「しばらくして先生が来て、詳しくは調べてみないとわからないけど、状態は非常に良くない。覚悟はしておいてくれ。って言われたんだ。俺さ、一瞬何を言われたのかわからなくて、先生に詰め寄ったんだ。どういうことかもう一度教えてくれって。でも先生は、一刻を争うからとにかく待っててくれとしか言ってくれなくて…俺の息子を連れてどこかへいってしまったんだ。嫁さんは産後の疲れで朦朧としてるし、俺がしっかりしなきゃって、必死だった。」
あいつの様子から、想像もできないような不安と隣り合わせだったんだろうことがわかる。そんなそぶり、今まで一度だって俺たちに見せたことがない。
悔しさが込み上げてくる。俺は、俺たちは何も知らない。こいつの苦しみもあの子の苦しみも。
あの時だって、あんなにみんなで楽しく笑っていたはずなのに…。
「その後、医者から詳しい話をされた。難しい話はわかんねぇけど、心臓と肺に病気があることがわかったって言われたんだ。恐らく長くは持たないだろうとも…。」
あいつの顔が苦しそうに歪む。
「急にそんなこと言われてもさ、全然受け入れられなくて、何言ってんのかわからなくて、気がついたら医者につかみかかってたよ。なんでうちの子が、なんで助けられないんだ、お前医者だろ、助けてくれよってな。嫁さんは横でただただ自分を責めてたよ。丈夫に産んであげられなかったって。泣き続けてた。持って3ヶ月。それが医者から言われた最後の言葉だよ。できる限りたくさんそばにいてやってくれって。」
「え、それって…」俺は不思議に思って聞いた。
「あぁ、俺の息子すげぇだろ?3年も頑張ったんだぜ」
そう言ってあいつは少し誇らしそうに笑った。
「俺たちはできることはないかと必死で考えて、良いと言われる方法をやれるだけ試しまくった。お前らに報告することで、こいつは確かにここに生まれてきた、生きているんだ、と思うようにもした。本当に…本当にできることは全部したんだ…だけど、お前らにはどうしても言えなくて…言ったら何だか力が抜けちゃいそうでさ、甘えちゃうっていうか…こんなとこで俺がしょぼくれるわけにはいかないだろ?だから言えなかったんだ…」
そう言って俯いたあいつの横顔が、俺の中にはっきりと焼きついた。あぁ、こついは…
そうだ。こいつは昔からこうだった。誰よりも周りのことを考え、誰よりも人のために頑張る。そういうやつだった…。
いくら自分が辛くても、仲間のために笑って頑張るやつだったのを思い出した。
「なぁ、顔、見に行ってやってもいいか?お前の息子
の」
「え、」
「いやー、ほらさ、挨拶して、お前のバカやってた時の話とかしてやりたいじゃん?お前の息子に。」
「それって…」
「な、いいだろ?」
少し強引だっただろうか、ふとそんなことが頭をよぎった、
「俺も俺も!俺も行きたい!ほら、高2の冬の話、お前の息子に聞かせてやりたいよ。」
「え、その話は3歳の子には早くないか?でも俺も行きたい!どうせお前のことだから、嫁さんとの馴れ初めとかしゃべってねーだろ?俺が息子に教えてやるよ!この俺が愛のキューピッドだってな!」
「キューピッドとか、お前ただ振られただけだろー!でも俺も行くよ。お前が授業中居眠りこいてて呼び出しくらってた話とか聞かせてやりたいし。」
「お前それ内容薄すぎだろ、もっと他にもあるだろ!」
「いいじゃん、何気ない日々を過ごしてたこいつの話を聞かせてやろうぜ、そんで、お前の父ちゃんはこんなやつなんだって教えてやろうよ。」
「お前ら…」
「な、いいだろ?みんなで行かせてくれよ。お前の息子に会いに。そんでさ、まずは言わせてくれよ。3年間、立派に生きてくれてありがとうって。こいつの息子に生まれてきてくれてありがとうって。3か月という余命を跳ね除けて、家族で3年間よく頑張ったって。」
「…ありがとう、」
そう言ってあいつは泣きながら笑った。
あれからもう、20年の月日が過ぎた。今ではみんな家庭を持ち、それぞれ家族を大事にしている。もちろんあれからも変わることなくみんなで集まって、くだらない話をしたりしている。
だけど、みんなあの日から一切酒を飲まなくなった。あいつは不思議がっていたけど、なぜだかみんなが同じ気持ちなのがわかった。
そして今日、みんなで集まって20年ぶりの酒を飲んでいる。
「おめでとう!」
みんなで乾杯をして、酒を一気に煽った。久しぶりの酒にくらっとしつつも、高揚感に包み込まれる。
「ありがとう、なんか照れるな。」
あいつが嬉しそうに笑っている。
そう、今日はあいつの娘が生まれて20年経ったことのお祝いをするためにみんなで集まったのだ。
あれからすぐにみんなであいつの家を訪れ、その後も個々にあいつの家に行くことが増えた。みんなで集まる場所も、いつの間にか居酒屋からあいつの家に変わっていた。そして、初めてみんなで訪問してから3か月ほど経った頃、あいつから嬉しい報告があった。
『嫁さんに新しい命が宿った』
みんな泣いて喜んだ。そして、無事に生まれてくれること、元気に育ってくれることを祈った。
自分の子どもが生まれても、その気持ちは変わらなかった。
なぜだろう、自分の子どもも俺の子だけど、あいつの子どもは変わらずみんなの子どもなんだ。
そう思ったのは俺だけではなかった。みんな決して何も言わない。だけどわかる。みんな同じ気持ちだと。
そして迎えた今日。あの日の居酒屋で、俺たちはお祝いに酒を飲んだのだ。
無事に産まれてくれたこと。元気にここまで大きく育ってくれたこと。そして亡くなったあいつの息子が、妹を大事に見守ってくれていることに感謝して。俺たちは酒を煽った。
あぁ、たまにはお酒を飲むのも悪くない。
たまには
3/6/2023, 1:25:27 PM