→埋没話・初恋の来た道。
私、何をしてるんだっけ?
つかの間、ぼんやりしていたクロエは周囲を見回した。どうやら10人ほどの老若男女とともに横並びに立っているようだ。前には指揮者。
全員が指揮者に合わせて机の前に置かれたハンドベルを振る。クロエと同世代の小学生の参加者の姿もある。
クロエは「あぁ」と得心した。ここは地元の村の公民館だ。数ヵ月前からハンドベルの講座を友人のエマと受講していたのだった。
今はノエルの発表会に合わせてクリスマスソングを練習中だ。
ベルの音が絶え間なく奏でられ音楽を作ってゆく。単体では儚げな音も、複数になると存在感を増し、立派な楽器となる。
クロエは指揮に合わせてベルを鳴らしながらもよそ見をした。エマを探す。
エマとクロエは幼稚園時代からの大親友で、お互いのドゥドゥ(ぬいぐるみ)を一晩交換するくらい仲良しだ。彼女を一番理解しているのは私! その優越感がクロエの宝物なのだが、それだけはなぜかエマに内緒にしている。
真剣にハンドベルを操る親友の手首にジュズダマのブレスレットが光った。エマが手を振るたびに、象牙色のつやつやした涙型の植物の種はまるで宝石のようにきらめいた。叔父さんに作ってもらったというエマの宝物だ。
指揮者の向こうで子どもたちの保護者が小さな声で談笑中。クロエの母親とエマのシッターの姿もある。
違和感が沸き上がる。母親はあんな風に雑談をしながら待っていただろうか? 講座の終わり際に駆け込んできていた記憶しかクロエにはない。
クロエはハンドベルを投げ出した。誰も文句を言わない。それでも音は途切れない。
母親に駆け寄ろうとしたが足がセメントで固めたように動かない。
あぁ、この時期が来たか、とクロエは得心した。
これは、夢だ。毎年この時期になると見る、いつもの夢だ。過去の再体験。
次に起こるのは『あの出来事』。
もう場面が変わっていた。講座が終わり、公民館の出入り口にクロエたちはいた。
仲良くふざけ合っていた子どもたちだったが、バラバラという乾いた音が床を打ったことで静まり返った。
中心にいるのはエマだ。呆然と仁王立ちになって床を凝視している。
ブレスレットの糸が切れ、ジュズダマが一面に転がっていた。誰かがエマにぶつかった際に、洋服のボタンとブレスレットが絡んだらしい。
辺りは水を打ってように静かになった。床に散らばったジュズダマを見ていたエマの目に涙が浮かぶ。そのブレスレットが彼女の宝物であることは知られていた。
しかしエマは泣かなかった。ふるふると頭を振り、目から涙を追い出す。
「ボタン、取れてない?」
明るい声で相手の服の無事を確認し、「ジュズダマ、まぁるいから踏んで転ぶと危ないよね」としゃがみ込んだ。
気丈に振る舞っているが、カラ元気であるのは明らかだった。喪失感がエマの小さな背中に張り付いている。
エマを気遣って子どもたち全員が無言でエマを手伝った。
「みんな、ありがとう。そんなに静かにならないで、ね? 今度みんなでジュズダマのアクセサリー作りをしようよ! まだまだいーっぱいあるんだよ! コレ、つるつるだけど、色を塗ったりできるかなぁ?」
そんなエマの饒舌に合わせて、誰かが貝殻を持って行くと言ったのを皮切りに、ビーズを提供すると申し出る子がいたり、リボンを糸の代わりに使えるかもしれないなどと会話が盛り上がりだした。
しかしクロエは会話に入れなかった。エマのブレスレットを贈った相手が、彼女の初恋の人だと知っているのは、クロエだけだ。
押し黙ったままのクロエにエマがそっと耳を寄せた。
「優しいクロエ! 私のために君の心を痛めないで。私は大丈夫」
クロエの耳元にエマの吐息がかかる。優しい瞳がじっとクロエに注がれる。
その瞬間、クロエの心にポッと小さな火が灯った。友情とは少し色の違う感情は、普段とは違うドギマギを彼女の心に与えた。熱が頬に上がる。
「エマ! 私ね……!」
その叫び声は、クロエに夢の垣根を飛び越えさせた。
「……あっ」
ベッドから起き上がった彼女は、24歳の姿に戻っていた。
「おはよう、クロエ! ミカとマルシェに行くけど、一緒に来る?」
扉が開くと同時に、明るく元気なエマの声に誘いかけられる。
地元の親友はシェアメイトとして一緒に暮らしている。今でも大親友だ。
「おはよう、エマ。ミカエルと楽しんで来て。私はもう少し寝るわ」
了解、とエマは去って行った。
クロエは窓を開けタバコに火を点けた。ちょうど真下に寄り添って歩く恋人たちの頭が見える。
親友に覚える親愛とは別の、行き場のない愛情をタバコの煙に混ぜて、小さなジュズダマのような2つの頭を狙って吐き出す。
白い煙はその目論見をなさず、ぼんやりと広がっていった。
テーマ; ベルの音
〜埋没話=中編小説の不使用エピソード〜
12/21/2024, 9:06:45 AM