七星

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『友情』

友達でしょ、という言葉が嫌いだった。友達という言葉を盾にして、誰もが私を自分の思い通りになる家来として扱おうとするからだ。だから私は、友達という言葉が嫌いであり、友達という言葉を信じられない。

四月初旬。私が働いているアトリエに新しいスタッフが入った。長らくスーパーマーケットでレジ打ちをしていたという、その女性は私よりも二つ年上だった。職場の人間関係に悩んだ末、転職を試みたのだそうだ。

「香山さんっていうんだね。高貴そうな名前でいいなぁ。私なんて小田だよ。ちっぽけで平凡な名前だよね」

出会って数十分後に、もう彼女は先輩の私にタメ口を利いていた。相手の方が年上なのだから許してやろうか、と思う弱気な自分がいる一方で、何と図々しい人なのだろうと憤る自分も、私の頭の中には確かに存在していた。

もやもやした気持ちを抱えたまま、私は小田さんと一緒に働くようになった。

一ヶ月ほど小田さんを観察していて、気づいたことがある。小田さんは意外と腕力や持久力があるのだ。

絵の搬入作業をしている時、小田さんの両腕には立派な力こぶができる。スーパーのレジ打ちをしていただけの人になぜ、こんな筋肉があるのだろうか。私がそのことを尋ねると、小田さんは豪快に笑いながら言った。

「私が働いていたスーパーには、お年寄りのお客様が多かったの。年を取ると頻繁に買い物をするのが面倒になるらしくて、一度にたくさんの品物を買っていかれる方が大多数なんだよね。だから、食料品で一杯になったカゴを、カートに乗せてあげるんだけど、これがひどく重いんだ。気づいたら、こんな太い腕になっちゃって。色気の欠片もないよ」

もしかしたら、この人は人間関係に悩んだのではなく、重い買い物カゴを運ぶのが嫌だったのではないか。

変な疑念が浮かんだ所で、小田さんは私ににやりと笑いかけた。

「だから、私は腕力にだけは自信があるの。重いものを運んでほしい時にはすぐ言ってね。私が代わりにやっておいてあげる。私たち、友達でしょ?」

あれ? と私の心に住む別の私が小首を傾げた。

今、小田さんは私の一番嫌いなセリフを口にした。それなのに、全然嫌な気がしなかった。

友達でしょ、の使い方も、今まで出会ってきた人たちとは真逆だった。

大した意味はなかったのかもしれない。でも小田さんの言葉は、今まで散々裏切られてきて捻くれてしまった私の心の中に、すうっと入ってきた。何か裏があるのかもしれないと、私は窺うように小田さんの顔を見た。だがその表情は至って無邪気なものだった。

「私ね、前の職場でほとほと嫌気が差したんだ」

小田さんが不意に呟いた。

「みんな友情を何だと思ってるんだか。友達でしょ、なんて言う人は結局、相手を自分の思い通りに動かしたいだけ。だから、その時は味方でいてくれるようなことを言っても、すぐに裏切る。私はそういうのが嫌になったんだ」

「私もです」

思わず、私は言った。

「言う通りにするなら、なんて。そんな条件つきの友情なんか、私はいらない。だから、そういう人たちと係わらなくていい場所で働きたかったんです」

私たちは案外、気が合うのかもしれない。無意識のうちに笑みがこぼれた。小田さんも笑っていた。

7/24/2024, 12:28:17 PM