須木トオル

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愛を叫ぶ。


この広い海のさざ波が、鼓膜を震わせる。
奥に見える島は薄く霞んでいて、波が視界を攫う。
下には崖が、後ろには森が。
僕は思い切り目の前の海に飛び込んだ。

入水音は、波によって掻き消された。
僕が漂っているのは誰も知らない。
きっと…ね。


いつもの日常に、入り込んだ一つのストレス。
俺は正直どうしたらいいのか分からないでいた。
(またここに居るよ…)
いつも俺の店の横に立つ、背が高くて髪の長い、男の幽霊。コイツが来て早一ヶ月になる。霊媒師をここに呼びつける訳にも行かないので、取り敢えず塩を撒いてはいるが、何せ目の前に海があるのだから塩に耐性でもあるのか、一つも消えやしない。なんなら濃くなっている気すらしている。
(とりあえず、見て見ぬふりがいいよな。…っていうのがダメなんだろうな…)
ため息ばかり吐く毎日。
お客さんに見えている人は居ないようなので、まあいいかと放置気味である。
「あれあれ、あおちゃん、こんなとこで何してるんだい」
「お!肉屋のばあちゃん、久しぶりー。俺ここにパスタ屋開いたんだ。良かったら食べてって!」
「まあそうだったのかい。じゃあ今度ミツルさんを連れて寄ってみるよ」
「げっ、ばあちゃんの旦那さんちょっと怖いんだよなー」
「ほほほ、ああ見えて、あおちゃんのこと結構好きなんだよ。あおちゃんも、またコロッケ買いに来てちょうだいな」
「本当かよー…。うん。近いうち行くから待ってて」
前に見た時より小さくなったばあちゃんに手を振る。 昔はよく、出来たてのコロッケを頬張る為に買いに行ったものだ。懐かしの味に涎が出そうになる。
( …そうだ。確かあの頃、ちょうどコイツと同じような奴と買いに行ってたんだ。そうそう、あいつ…)
「…ひろと…」
「……ぅ…あっ…あお、ちゃ…ん」
幽霊が喋った。目の前に歩いてくる気配がする。
「ねえ、あおちゃん」
ついに話しかけてきた。話しかけられてしまった…。
名前に反応したのなら、コイツは、あの ひろと なのだろうか…。気になる。好奇心が抑えられない。少し見るだけなら、大丈夫だろう。
「あおちゃん…」
チラと幽霊を見遣ると、俯き前髪で隠れた瞳は、隙間から見え隠れしていた。二重で睫毛の長い瞳。鼻は高く顎はシャープで、上々なビジュアルではないか。
確かにコイツは ひろと かもしれない。
当時はそこまでイケメンだとか思ってなかったが、面影がある。
「あおちゃん、ずっと…好きだった…」
「…」
「男よりもかっこいい、あおちゃん。背も高いし、最初はヤンキーみたいで怖かったけど、ほんとはすっごく優しくて…。」
「……っ」
「女みたいだって、いじめられてた僕を助けてくれたよね。へへっ、懐かしいな…。本当にありがとう、あおちゃん」


「ひろとのばか…」
「わぁ!どうして泣くの?ごめんあおちゃん…泣かないで…」
「あぁ…どうして気づかなかったんだろ…そのまんまだったのに…塩投げてごめんな…」
「ちょっと痛かったけど、大丈夫だよ」
すっかり、あおちゃんは女性らしくなったと思う。前なんか僕よりも短い髪の毛で、金髪にしてたのに。今じゃすっかり黒髪ロングだ。
顔つきも、前より柔らかくなった。
「お前、なんでこんなとこに居るんだよ…早く戻れよ!」
「戻れって…?僕はあの日…」
「生きてるんだよ…。ベッドの上で、今でも…」


確かにあの日、僕は死んだはずだった。



沈んでいくのが分かる。
もがく事すら出来ない水圧が身体を襲う。

キラキラとした太陽が海を照らしていて、満点の星空の下に居るようだった。

波に揺蕩う僕はこのまま、消えてしまうのだろう。
ただ大好きなあおちゃんに、また会えないのだけが心残りだった。

あおちゃんと過ごした日々がパノラマのように流れる。
初めて会ったのは幼稚園。最後に会ったのは高校三年の夏。一緒に海水浴をした。
あんなにかっこよかったあおちゃんは、大人の女性に近付いていて、女々しかった僕は恥ずかしかったっけ。


朦朧としていると、誰かに触れられた気がした。

僕はてっきり、天のお迎えかと思ったが、違ったのだ。
…あおちゃん、君に助けられてばかりだよ…。


「…またぼくは、あおちゃんに…」
「ぁ…っ…ひろと!待て…っ!!」
「またね」
「おい!待てって…!」

そして僕はそのまま意識を失った。




「自分だけ、言いたい事ぶちまけてんじゃねえ…ばか…!」
そこに居たはずの彼は跡形もなく消えてしまった。
こうしてはいられない。そそくさと店じまいを行うと俺はひろとの待つ病院へ向かった。
「松永さん!今、長尾さん目が覚めました!」


「…あ、お、ちゃ…」
「喋んな…」

こっちにも言いたい事は山程ある。
でも、まずは…

「…おかえり、ひろと」

昔はあんなに可愛かったのに、かっこよくなったもんだ。背だって抜かされてる。

俺も好きなんて、まだ言ってやらねえ。

ただ、密かに愛を叫ぶ。
まだ見合う女性になりきれていないから。


おわり

5/12/2023, 8:59:05 AM