ひともどき

Open App

正直に言えば、死に方について考えたことはある。
何度か実行に移そうとしたこともある。
死ぬ気はなくても死にかけたこともある。

どれよりも死に近かった時の話をしよう。
死ぬ危険も、死ぬ気もない、夏のある日の話だ。



家と会社の間にある場所まで出かける仕事の日だった。
いつもより多く寝て、始業時間にゆるゆると準備して
家を出ても間に合うような距離だった。

普段とは違う路線の電車に乗ろうとしていた。
駅のホームに立った途端、心を揺らす香りがした。

花ではない、香水でもない、ほんのり甘くて、
リラックスできるような、懐かしさを覚える香り。

名前のつけられないそれを嗅いでいると、
突然轟音とともに突風が身を跳ねた。電車が駆け抜ける。


僕は線路に引き寄せられていた。普段の路線には
ホームドアがあるので見ることすらできないが、
この線は、剥き出しの線路を見れた。


あの日嗅いだ香りを、もう一度嗅ぎたいと思いながら
もう二度と嗅がない方が良いとも思っている。
十中八九、死の香りだろう。




最後の眠りにつく時には匂うんだ。
それを感じれない限り、迎えはまだだってことさ。


お題「眠りにつく前に」

11/2/2023, 10:37:11 AM