もんぷ

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夢じゃない

 この状況が夢じゃないことは誰よりも自分が分かっている。だってこんな状況でも、ハーゲンダッツのアイスはおいしい。
「おいしい?」
「…はい。」
私が食べているところを頬杖をついて見守っているこの人は、なにがおかしいのかずっと笑みを浮かべている。そんなに見られたら食べづらい…なんて思いながらも美味しいからスプーンを持つ手は止まらない。

「アイス奢るからちょっと付き合ってや。」
なんていう怪しさ満点の誘い文句でこの綺麗な顔の人にナンパされたのは、10分ほど前のこと。先生の都合で急に部活が無くなり、早い時間に帰れることになったけど特にやることもないなーなんて駅まで歩いていた時だった。普段なら無視することの罪悪感は抱えつつもその場を早歩きで立ち去るくらいのガードの固さは持っていたはずなのだが、知り合いからの言葉、さらにはこの暑い中でのアイス…二つ返事でついていく以外の答えは無かった。しかし、すごく居心地は悪い。学校近くの公園、雨除けみたいな少し屋根のある場所。古びた木のテーブルとアイスを前に向かい合って座る私たち。平日であること、時間が時間で日照りも強いことから人はほとんどいない。
「…先輩の分は無いんですか?」
「俺甘いもん苦手やねん。」
「……そうですか。」
この人は何がしたいのか?部活がなくなって暇になったのは一緒だとして、普段の部活でもあまり会話を交わさない私たちの関係性でなぜ誘ったのだろう。学校と駅の間にあるただ一つのセブンイレブン。アイスのコーナーに直行した私は、ガリガリしたアイスや爽やかな一文字のアイスあたりを眺めていた。そんな私を見て先輩は柔らかく笑い、ちょいちょいと手招きして普段選択肢にないハーゲンダッツのゾーンの前で「こん中やったらどれが良い?」なんて言うのだ。最初は遠慮して「大丈夫です!」なんて首を振っていたけど先輩は全く折れなかった。じゃあ、ありがたく…とバニラを指差したらすぐにケースを開けてレジに向かったから驚いた。

 本当に何がしたいんだろう。時折散歩にやってくる犬に目線を移しては微笑み、それ以外は常にアイスを食べる自分を見ながら嬉しそうにしている。
「あの…なんでアイス奢ってくれたんですか。」
半分ぐらいまで食べ進めたところで我慢できずに聞いてみる。本当に意図が分からない。
「あんな、俺さっきも言ったみたいに甘いもんそんな好きちゃうねんか。でも暑いしアイス食べたなって、でもまるまる一個は無理やなーって思って。諦めるかーって思ったら甘いもん大好きでお馴染みのかわいい後輩ちゃんおったからこれはチャンスや!って。」
「…はぁ。」
「あ、ごめん。スプーン一緒とかあかん人やった?」
「や、それは大丈夫です、けど…」
「なら、それ一口ちょーだい?」
こてん、なんて首を傾げて、その綺麗な顔を最大限活用して甘えたように言ってくる。この人は私が断るのが苦手なことを知っているから相当タチが悪い。アイスを渡すことは良い。もちろんこの人が買ったのをいただいてるんだからあげたくないとかそこまで強欲ではない。スプーン一緒なのも良い。友達とかも全然するし気にしない。ただ、"この人と"というのが問題なのだ。この人はどこまで知っている?どこまで知っていて私を誘った?私がこの先輩を好きだというのは、同じ部活なら先輩後輩関係なくみんな知っている。おそらく、この好かれている本人も。
「はい、どうぞ。」
少し水滴のついた容器をすすすと目の前に差し出すと、ありがとうとそれを受け取る。そして、さっきまで私が食べていたスプーンでバニラアイスを掬い、綺麗な形をした口に運ぶ。
「んー、冷た!生き返るわー。はぁ、ありがとうな?」
「一口だけで良いんですか。」
「うん、甘いしこんだけで十分。それに、そっちが食べてるの見てる方が楽しい。」
「…なんですかそれ。」
この意地の悪い先輩からアイスの容器を取り返し、何事もなかったかのようにまた食べ進める。きっと私の顔は耳まで真っ赤だろうけど。

8/9/2025, 9:49:44 AM