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『喪失感』

ぴーちゃんがいなくなった。朝起きたらベッドの上からいなくなっていた。もちろんベッドの下にもいない。そもそも部屋の中にそれらしい姿は見えない。ぴーちゃんがひとりでに外へと出かけるはずもなく、私は1人立ち尽くす。

「まあいいんじゃない?いなくても1人で寝れるんだし、あなた高校生なんだから。」

大体もう長いことベッドの隅に追いやってたでしょ、母は飄々とした態度でそう言った。ぴーちゃんはうさぎのぬいぐるみだ。物心ついた時にはそばにいて、それから今までずっと一緒に過ごしてきた。けれどもここ数年は母の言う通りベッドのオブジェクトと化していて、今朝なくなっていることに気付くまでは1度も目に入れずとも違和感なくその日を終えられるような存在だった。

しかしそれはぬいぐるみに執着するような歳ではなくなった、ただそれだけのことで、誰もが通る道なのだと思っていた。不思議なのだ。どうして私は、今日ぴーちゃんがいなくなったことに気付いたんだろう。特別愛着を持っていたわけでも、人一倍物を大切にする性格というわけでもない。それなのに今日の朝食のトーストは味気なかったし、今も前方不注意で電柱にぶつかりそうになっている。

私は自分で思うよりよっぽどぴーちゃんのことを心の拠り所としていたのか。

自覚した途端に胸が苦しくなった。今更どうしようもないのに、後悔ばかりが募っていく。昔のようにぬいぐるみで遊べば、とはいかなくてももう少し気にかければ良かったし、いなくなってしまうなら、最後にまた抱いて眠りたかった。今日の空は曇天だ、晴れやかな日々が懐かしくなる。校庭の中ほどで思わず足を止めた私に後ろからやってきた友人が声をかけてきた。浮かない気分を後ろ手に隠して挨拶を交わし、そのまま他愛のない会話を続ける。友人とのおしゃべりは楽しいはずなのに、やっぱりどこか寂しくて。この気持ちはきっとしばらく私の胸の片隅に居座って、1人の時間に頭を埋め尽くすのだろう。すると今度はいても立ってもいられなくなってくる。今日、家に帰ったらもう1度部屋の中を探そう。部屋になかったら家中、隅から隅まで探してやればいい。そうしてまだ消化できる悔しさを全て晴らして、そうやってこの気持ちの名前と対処法を見つけよう。辛いときは今までそうやって乗り越えてきたしこれからもそういう風に生きていくのだ。私がなんて考えを巡らせている間に、薄暗い気持ちをいとも簡単に察しては探りを入れてきた友人をなんとかあしらって、気持ちを切り替えるように一度大きく深呼吸をすると、さあまずは1歩、と教室に足を踏み入れた。


私の隣の席に、ぴーちゃんが座っていた。

9/10/2023, 12:26:44 PM