Una

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「殺せ」

何かの声が聞こえて時間が止まった。
何も無い地面に向けて差し出した片足がふいに止まる。フェンスに縋りついた僕の服が風で揺れる。今まで感じたことの無い風圧に、つい負けそうになる。両足を踏ん張る形にして肘を伸ばす。僕の視線の先には、無尽蔵に流れる車や下を向いて歩く人々の姿があった。まさか、上から人が落ちてくるなんて、全く考えがない街の風景に何故か落ち着きを覚える。僕なんてきっと、この世界の誰からも存在を消されているようで、それが心地よかった。

結局あの声の後から飛び降りれないまま、僕はまた教室の前で立ち止まっている。いつもと同じ時間。いつもと同じ教室の雰囲気。いつもと変わらない朝がまたやってきてしまった。教室の扉に触れた指が震えているのが、自分でもよく分かった。
「おい」
急に自分に向けられた聞き馴染みのある声で、体が大きく跳ねる。顔を恐る恐る向けると、いつものあいつらがそこにはいて。
「めーがーねーくーん。今までどこ行ってたの?」
優しい声と笑顔の裏には、僕に向けた憎しみが込められていた。頭を掴まれ、腕を固定され、気づいたら力強い拳で腹を殴られていた。慣れていたはずなのに、久しぶりに受けたそれは耐えられないほどの苦痛で、僕は声にならない叫びと共に足から崩れ落ちた。それを見て笑ったのは、主犯格の橘、橘の彼女の相原、橘の幼馴染の後藤、後藤の彼女の相模だった。彼らは学校中で最も恐れられている不良グループであり、先生でさえ彼らには口出しできないし、彼らを止めることは出来ない。そんな彼らに目をつけられた僕は、その日から彼らにひたすら虐げられる毎日を過ごしていて。もう嫌になって飛び降りようと思った先に、あの始末だ。
今まで可愛がってあげられなかった分だなんだとほざいて、彼らは僕を立ち入り禁止の家庭科室に連れ出し、今まで以上に手を加えた。殴る蹴るの暴力は勿論、暴言での精神的な暴力や、終いには自分たちの性器を咥えろ、と常人ではありえない行為を強要された。
苦しい。死にたい。辛い。もう許してくれ。
彼らに乞うたところでなんの意味もないのに、僕は必死に彼らに向けて叫び続けた。止む気配は全く無かったが。
彼らの気が済んだのか、二時間で僕への愛と称したいじめの時間は幕を閉じた。
「いやあ、やっぱお前おもろいわ(笑)明日からまたよろしくな(笑)」
「また咥えてくれよ〜(笑)」
「もうやめなよあんたたち(笑)」
「眼鏡く〜んまたね〜(笑)」
半笑いで反省の意すら感じない彼らを見るのは、別に初めてでは無いはずなのに、僕の心には強い怨念のようなものが宿っていて、気付けば__

__気付けば僕は包丁を持っていた。
まずは橘に狙いを定めて、彼の背中めがけて思い切り腕を振りかぶった。ザクッという無作為に発された音が気持ちよくて、橘の意識が飛ぶまで刺し続けた。彼の悶える姿を見るのが快感で、ずっと刺していたかったが、彼も人間だし、限界はあるので、次は後藤を刺した。叫ぶ前に連続で刺したら、声にならない叫びとなって後藤の声は消えた。
二人の彼女の方に目をやると、顔を真っ青にして謝ってきた。ごめん?許して?そんな言葉で済むと思ってるのか。僕はそれだけ返して彼女たちの心臓めがけて包丁を振りかざした。

あー楽しい。人を刺すのってこんなに楽しかったんだ。

数時間後、僕は逮捕された。
パトカーの窓に反射した僕の顔は笑っていた。
神様ありがとう。あれは僕への使命だったんですね。

「神様が舞い降りてきて、こう言った」

7/28/2024, 7:57:42 AM