望月

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《美しい》

「——なあ、人はどうして醜いんだろうな」
「急になに言い出すんだ」
 頭でも打ったか、とシエルはキャンバスへと向けていた手を止めた。代わりに怪訝な視線を横にずらす。
 言い出した本人は、キャンバスから視線すら外さず描き続けている。
「お前もそうは思わないか? シエル」
「急にどうしたんだってオレは聞いたんだけどな、ブライトさんよォ」
 そう言い、シエルはまた手を動かした。
 話している時間も惜しいのだ。
「ほら、窓の外。月が見えるだろ? あれが本当に美しいなと思って……」
「それに対して人は醜いなってか? 比べるもんが可笑しいだろ、そりゃ」
「というと?」
 今の言葉のどこに惹かれたのか、ブライトはなにやら楽しそうだ。
 先程まで数時間、無言だったからか。
 ブライトを楽しませるのは本意ではないが、口が暇なのはシエルもまた同様だ。
 渋々と口を開く。
「お前の言う、月が美しいってのは、視覚的な話だ。月という物を見て、美しいと感じてるんだろ。けど、人の心の美醜はそうじゃねェ、内面的な話だ。比べるなら、月の美しさと人の容姿の美醜でも比べてろ」
「まぁ、それもそうなんだよなぁ……」
「人に分かり切ったこと言わせといて、薄い反応見せてんじゃねェよ」
「はいはい、悪い悪い。……でも、そうだとしても、人は醜いだろ?」
「おい、さっきからなにが言いてェんだ」
 一拍、キャンバスを滑る筆の音が場を支配する。
「……俺は、最期くらいは、綺麗に終わりたいなって思ってさ」
 ブライトがややあってそう言うと、シエルは間髪入れずに溜息を吐いた。
「あのなぁ、十分世間様から見れば綺麗に生きてるだろお前……!」
「シエル、そういうことじゃなくてだな」
「そういうことだっての! だってな、他所からすりゃお前みたいな順風満帆な人生送ってる奴は、大層お綺麗に見えるだろ」
 元は平民の生まれであるブライトは、幼少の頃から絵を描くことが好きだった。道端で拾った石と水で街中に落書きしたところ、怒られるどころかその才を見込まれ地方貴族の養子となった。
 そして数年経ち、ブライトは『天才画家』と呼ばれるようになった。
 若くして売れた画家の人生が、順風満帆でなければなんなのだろう。
 こうしてシエルが、ブライトの為のアトリエで共に絵を描いて居られるのも彼のお陰である。
 意地でも、絶対に言わないが。
「……ま、オレはお前のこと、結構醜い生き方してんなって思うぜ」
「へぇ……?」
 意外だったのか、今度はブライトが手を止めてシエルを見つめる。
「天才だなんだって言われてるけど、実際はただの努力の成果でしかない。どっちかっつーと才能だけならオレの方がある」
「なんだ、自慢か?」
「茶化すな。……だからお前は秀才だよ、紛れもなくな。それこそ、人には話せねェくらいの泥水啜って生きてる時だってあった。手の付けようがねェくらい暴れてた時もあった。ただ、そんなお前を知ってるのがオレくらいなんだよ。だから他人様から見りゃお前は綺麗でも、オレから見りゃお前は醜いのさ」
「そうか……そう、だな……」
 ぼんやりと返事をしたかと思うと、ブライトは筆を動かし始めた。
 シエルはまだ吹っ切れていない様子のブライトに呆れるが、話を続ける。
「だから、死ぬ時も孤独に死んでけ。誰とも結ばれないまま寂しく独りで死んで、五日経って、腐乱した死体でもオレが見に行ってやるさ」
「見に来てはくれるのか」
 苦笑しつつもブライトは、心が軽くなったように感じた。
「腐れ縁が繋がってれば、な。そん時にゃあ切れてるかもしんねェけどな」
「……なあ、シエル。お前に頼みたいことがあるんだがいいか?」
「内容による。……なんて冗談だ。なんだよ」
 腐れ縁であるブライトに妙に改まってお願いされると、シエルは居心地が悪く感じた。
「俺と一生友達で居てくれないか」
「なんだ、そんなことでいいのかよ」
 拍子抜けした表情で筆を進めるシエルに、
「あ、もちろん友達なんだから、最期は看取ってくれるよな?」
「おう……あ、でもオレは独身貫く気ねェからな! 勝手に独りで逝ってろ、オレは絶対に誰かと幸せになってやる」
 全くもって、潔い宣言である。
「……わかった、それでいいよ」
「い、いいのか」
「いいけどその代わり、これだけは譲らない」
 なんだ、と言いかけたシエルの頬に手を添えてブライトは微笑む。
「お前のこの、綺麗な目だけは俺にくれ。一生、俺だけを見ろ」
「…………こ、告白みたいなこと言うなよなぁっ!」
「ある意味間違ってないな」
「……っ!?」
 動揺するシエルを置いて、ブライトは筆を取った。そのまま絵を描き始める。
「お前は——シエルだけは俺を色眼鏡で見たりしないだろ? だから、くれって言ったんだ」
「……っ、あぁ、そういう……変な言い方すんなよ、馬鹿」
「なにと誤解したんだか……くくく」
「笑ってんじゃねェ! るせェ!!」
「夜中にうるさいのはそっちだろ?」
「ぐぅっ……!」
 ブライトの言ったことは正論で、シエルは無言になって止まっていた手を動かす。
「……あー、くそ、まあいいけどな? 腐れ縁が切れてなきゃな!」
「切れてないことを祈るさ、切にね」
 なんだかんだ言って承諾したシエルに、ブライトは笑みを隠し切れなかった。
 ブライトにとってシエルだけは、『天才』と言って自分を遠ざけたりしない唯一の存在なのだから。
 
 やがて彼らはは歴史に名を残す。
 『天才画家』と呼ばれた画家、ブライトと。
 そのブライトと交流のあった画家、シエルとして。

 ブライトは生涯独身を貫き、シエルに看取られて病で命を落とした。
 70年来の腐れ縁であるシエルもまた、生涯独身を貫き、ブライトの後を追うように二年後老衰で亡くなった。

 シエルが弟に託したという日記が、彼の実家で過ごす子孫から博物館に寄贈された。
 その内容は、ブライトがどれほど努力を重ねて来たのかを、シエルの感情を交えて書いたものが多く、生涯書き続けたのか百冊以上のノートが日記であった。

 かくして、この日記を元に歴史は正された。

 かつて『天才画家』と呼ばれた秀才、ブライトと。
 彼と共に在り続けた親友の画家、シエルと。

 彼らの一生を描いた作品は、世界中で劇として広められた。
 
 有名な、最後の一節がある。

「美しさを求めた彼らの作品は、決して完成することはなかった」

 完成を、生きている内に感じればそれで画家として終わりだ。
 だからこそ、彼らは求め続けた。

 彼らの人生は、世界で最も美しい友情の物語として、今も語り継がれている。

1/16/2024, 2:50:16 PM