『1000年先も』
1000年先の未来は一体どうなっているのだろうか。ガラリと世相が変わっているのか、それとも意外と変わっていなかったりするのか。全然想像できない。
SF映画のように車が空を飛び、銀色のスーツに身を包んだ人々が無機質な食事を摂っているかもしれない。あるいは、一度文明がリセットされ、緑に覆われた大地で素朴な暮らしが営まれているかもしれない。けれど、いくら頭を捻っても、それらはどこか他人事のような「空想」の域を出ないのだ。
ただ、ふと思う。1000年前の平安の世を生きた人たちも、私たちと同じように月を見上げて物思いにふけり、恋に悩み、季節の変わり目に心を揺らしていたはずだ。だとしたら、1000年後の未来人もまた、今の私たちが抱くような「やるせなさ」や「ささやかな喜び」を感じているのではないだろうか。
デバイスがスマートフォンから脳内チップに変わろうとも、移動手段がリニアから転送装置になろうとも、雨上がりの土の匂いに懐かしさを覚えたり、誰かの言葉に傷ついたりする心の働きだけは、そう簡単にアップデートされない気がする。
もしそうなら、少し安心できる。
1000年先の誰かも、今の私と同じように「書くこと」で心の中を整理しようとしているかもしれない。媒体が紙であれ、電子であれ、あるいは空中に浮かぶホログラムであれ、「何かを残したい」という衝動自体は、化石のように残り続けている気がしてならないのだ。
そう考えると、見えもしない未来が、急に少しだけ愛おしく思えてくる。1000年先も、誰かが今日と同じような夕暮れを見て、言葉を探していますように。
2/3/2026, 4:13:00 PM