郡司

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無垢

仏教の言葉では、「煩悩のけがれの無いこと」を意味する。

猫又が「おなかすいた」と言ったので、私は自分の手を差し出して言った。「じゃあ私のあげるよ」と。猫又の返事は「いらない。そんなの食べたらお腹壊しちゃうもん」だった。猫又は生気を摂取するのだが、私の目を盗んで子どもたちの生気をつまみ食いしているようだった。

「子どものがいい。今は不安定ぽくておいしそうだもん」
成長期の揺らぎがあるせいでいまいち安定を欠く子どもの生気を喰わせろと、ニヤニヤしながら言う。
「普通程度の量しか持ってないからダメ。私なら限りないから大丈夫。ほれ、遠慮せず」
「いやーだ。あなたのは美味しくないもん。そんな安定したのなんか、つまんない」
「贅沢言うんじゃないの。食べ放題なんだからいいじゃない」
「やだ!」
「ワガママ言わないの。だいたい遠慮せず喰えなんて言うのは私くらいでしょうが」
「イヤー! だって脂っこいんだもん! お腹壊しちゃうんだってば!」
…という時点で爆笑する子ども。ちょっと、失礼じゃないの。言うにこと書いて脂っこいとか。よし、絶対私の以外は喰わせぬ。私は猫又を取り押さえて、思いっきりわざとらしく、「脂っこく」、遠慮するなと迫った。猫又は子ども達に「たすけてー!」と手を伸ばしていたが、それもすぐつかんで押さえていたら、あさってへ逃げて行った。

私が無垢という状態じゃないことは猫又が太鼓判を押した。

猫又よ知っておけ、人間の大人というものは、己の無垢をしまい込まねばならないときがあるのだ。無垢そのものである命は誰も皆、自分の最奥に持っている。見つけられないのはお前の力量不足というものだ、修業しろ。…って、お前まだ子猫だったわね。仕方ないか。

でも、子ども達の生気を喰ったら仕置きだぞ。

5/31/2024, 1:31:18 PM