泥(カクヨム@mizumannju)

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『はじめまして』

「……はじめまして…」
彼女から飛んできた言葉に、俺は膝から崩れ落ちそうになった。そこは病室だ。パンパンに詰められた白い部屋に、柔らかな一輪の花が咲いている。そう、彼女だ。
「あの、………はじめ、まして」
記憶を飛ばす前は恋人でしたなんて、なんだか伝えるだけでも情けなくなって泣いてしまいそうだった。
「ええっと、お名前を伺ってもいいですか」
「名前ですか」
「はい、名前」
「…そうですね、……」
俺は彼女に向かって口を開いたが、悔しくなってやめた。あんなに俺の名前を呼んでくれた彼女が、病気ごときで俺の名前を忘れるはずがない。
「……なあ、ほんとに何も覚えてないのか」
「……、……はい、すみません…」
「あーいや、謝ってほしいんじゃなくて」
「すみません、あなたには会ったような気はするのですが、どうも思い出せないんです」
「…そう、ですよね」
「ごめんなさい」
「いや、ほんとに大丈夫ですから。あなたもつらいでしょう?」
彼女は曖昧に笑って、俯いた。こんなこと聞かなきゃ良かった。窓の向こうを見ると、桜が満開だった。春にしては寒い日だけど、それでも桜は咲いている。笑っている。こんなに寒々とした春もはじめましてだな、と変なことを考える。

4/1/2025, 1:59:19 PM