わたしの日記帳
半分はそうであってほしいという願望でもあるけれど、
世の中の99%の人たちは日記を書くときに誰かに見られることを多かれ少なかれ意識していると思う。
うっかり仕舞い忘れて家族や友達に見られることから、死後誰かが種々の理由をつけて広く公開することまで、人に見られる可能性は無限にある、しかも珍しくない。アンネの日記がいい例だ。その中身を知らない人でさえ、かつてアンネ・フランクという少女がつけていた日記が実在したことは知っている。
まさか自分がかの少女のように後々有名になる日記をつけているとは思わない。
でももし──万が一億が一、世の中に出てしまったら──?
過去の誰かの日記がやいのやいの言われるように、自分の日記も何も知らない未来人にやいのやいの言われるとしたら?
ある人の受け売りだけれど、日記というのは必ずしも真実を書き取るものでなくても良い。
1日疲れ果てて気力がなくても日記には「楽しくて最高の1日だった!」と書き残せる。文学作品の一種なのだ。
今読める日記も、もしかしたらいつか公開される日記も、はたまた幸運なことに書き手の目にしか触れない日記も、誰かを主人公にした一冊の本なのだ。
さて今日もそんな物語に行を加えてみよう。
親愛なるキティー; 半分はそうであってほしいという願望でもあるけれど……、
8/26/2024, 10:44:35 AM