「空といえば?」
「雲。あとハロー現象」
そっけなく返ってきたその言葉を聞いて、思わず頬が緩む。
気づかれないように引き締めてから、小会議室の扉を開ける。
いつもの、取り澄ました仏頂面がいる。
「買い出し、ありがとう」
お礼を言って、手元に幾つもぶら下がっているビニール袋の一つを手に取る。
文化祭前日。
私たちは、展示の準備をしていた。
自然科学部。
文系学科に進学しておきながら、気象学への憧れを捨てられなかった私が立ち上げたサークルだ。
理系大学では競争率と年季の高そうなこの名称を、こんな新サークルが冠しているのも、この学校が数学理科アレルギー蔓延る、文系大学だからだった。
当然、活動も変わってくる。
オープンキャンパスからの頻繁な勧誘が功を奏したのか、サークルにはそこそこのメンバーがいたが、専門的に気象学をやろうとする人間は少なく。
もっぱら、空専門の写真部のような活動になっている。
そんなサークルだったから、文化祭の出し物も、天気や空の変化を流す動画の上映会と写真展示会ということになったのも、当然の成り行きだった。
このサークルの居心地は良い。
サークルメンバーたちとの会話は楽しいし。後輩も可愛い。
愛言葉と称して、各々が各々の好きな空や空に関する言葉を持っていて、それをサークルで教室に入る時に、「空といえば?」「〇〇」と答える、副部長考案の慣習も、とても素敵だ。
ところが、不意に寂しさを感じることがある。
理詰めで討議することが出来ない不自由さが、ふっと胸に込み上げて、その度にもう一人の私が問いかける。
「私、本当にここにいていいの?」
それを覆してくれるのが、私の後からビニール袋を下げて入ってくる、あの仏頂面だった。
彼との話は楽しい。
サークルの他の人たちとはまた違った楽しさだ。
愛嬌がないがしかし、勉強もサークル活動もそつなくこなす頼れる彼は、生真面目な性格とその不器用な仏頂面で、嫌厭されがちだったが、私には大きい存在だった。
彼となら、気圧計算の答えを比べることが出来た。
彼となら、明日の天気の予測について討議することが出来た。
彼となら、天気図が書けた。
彼の愛言葉を聞くのが、いつの間にか、空きコマ一番の私の楽しみになっていた。
「これ、明日の天気図?」
黙って運び込んだ荷物を、机に下ろしながら、無愛想に彼が言った。
胸が高鳴る。
そう。いつだって彼はそう聞いてくれるのだ。
展示の写真の話よりも、明日の動画の出来の話よりも前に、そうやって、私に話しかけてくれるのだ。
だから私は…。
浮き上がってきそうな単語を丁寧に折りたたんでしまい込む。
「そうなの。なんか気になるとこある?」
いつも通りそう言って、私は彼の横から、わざと未完成にした天気図を覗き込む。
写真に収められた個性的な雲たちが、私たちを見下ろしていた。
10/26/2024, 2:58:50 PM